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2014.10.4 デアゴスティーニとのコンセプト比較
Deago社の「零戦をつくる」推定 わたしの宇宙「零戦」金属模型
原型 青山ウイングクラブ販売の1/18零戦スケルトン模型と推定 精密図面を読む掲載の松葉稔氏作図1/48零戦21型
構想  すべての部品を市販の零戦書籍から寸法取りすることは
ほぼ不可能に近く、実物零戦から採寸されたモデルを参考に
商品化されたと思われます。
 ウイングクラブの零戦は参考商品として購入していると推定
河口湖の零戦を取材して実機の骨組みを確認していると推定
お手本はウイングクラブと河口湖の両方ですが、形状を精密
測定可能なことから、ウイングクラブの情報量が多いと推定
 西ドイツで製作されたウイングクラブの零戦が1/18の理由は
インチ系の工業世界ではフィートとインチの関係から
1フィートを2/3インチにしたのが1/18スケールになり、
1/72模型を4倍した1/18が、インチ系縮尺では好都合です。
 参考購入した1/18零戦を分解して、骨組部材形状を転写
原寸ではコピー商品の疑いがもたれる為、若干拡大する。
 メートル系工業社会でキリのいい1/16に拡大し、骨組みの
部材をアルミ板からプレス打ち抜きのパーツ化し各号に配分。
 エンジンは亜鉛ダイキャスト用型を製作したのではないか。
ミニカー等の業界に仕事を出すが、原型はウイングクラブの
零戦を分解して得たエンジンを使った可能性は否定できない。
 商品を図面から起こすことに比べ、若干スケールの異なる
類似サンプルモデルがあることが商品開発を安く、スピードを
アップの理由です。3次元CADで立体データを作ったら膨大
なコストになるが、光学的形状スキャナーで3次元のモデル
形状をデータ化し、18/16倍すれば、部品の製作コストは
かなり低減できたと以上推定しました。
 精密図面を読むの図面を2倍拡大して1/24でエンジンに
直径10mmモーターを入れる検討をしました。
 1/16では十分過ぎるほどのスペースがあり間の抜けた
エンジンになってしまう、エンジン用アルミ材サイズも大きく
なることから、ぎりぎりでモーターの入る1/24に決定した。
エンジン外観は当時の栄エンジン写真資料を1/24相当
に拡大コピーし、方眼紙上でエンジンの模型構想検討。
 栄エンジンをミニ旋盤で製作可能な部品に展開した。
次に機体部品を旋盤で製作した以下の旋盤加工リスト

自分で旋盤をまわして零戦の部品をつくる楽しみを
味わうことが目的です。
1:シリンダーブロック14個
2;クランクケース、前側、後側 各1個
3:7.7mm機銃2丁
4:操縦席計器板メーター
5:主脚、車輪各2式
6:20mm機銃2丁と60発弾槽2セット
7:エンジンクランク軸、スピンナー
8:(プロペラブレードは未製作)
9:増槽燃料タンク
 胴体は、真鍮ハンダ付け、主翼はアルミ厚板を削りだし
操縦席の構造は零戦関係の雑誌資料を参照した。
全ての部品を金属製にすることで模型の付加価値アップ
要旨 100万円の模型が各号合計15万程度で手に入れられる。 零戦のエンジン操縦席を旋盤主体のパーツで製作する。
感想 毎週2千円弱で、100万の模型を2年かけて手に入れられる。 機体全体を製作せず、部分的製作でカットモデルの印象
を出し、世界に一つしかないオリジナル性を強調した。
 以前雑誌社が、パーツを付録につけ、最終的にスケルトン零戦が完成する企画販売をした。それに触発され、自分なりに零戦操縦席から前を製作した。
後に映画永遠の0にも触発され、機体主翼から後ろを木製ソリッドモデルで完成させた零戦です。
2014.9.12 国立科博 零戦、哺乳類特別展 2014.9.12科学博物館零戦21
秋晴れだった、社会科の授業か中学生がいた。

同時開催の哺乳類の歴史展を見に行った。
初期の哺乳類が、小さな生き物だったことが分かった。ナウマンゾウの親子大中小の化石があることが売りだった。学者は、専門分野別だ、生物学者骨格標本に夢中。その生き物が生きていた時代の地球環境は、古気候学者の専門になる。像は熱帯の生き物だ。牙の長い毛むくじゃらの、マンモスがシベリアの永久凍土の下から見つかる。マンモスが生きていた時代、の気候はどうだったのか。地球の環境に関する本を買った。二酸化炭素の影響は思った以上に低く、温暖化全体の寄与率で1/6程度であるという主旨の学者が書いた本だ。
2014.9.8 忘却の零戦21  写真が大きく掲載可能になった。永遠の0で作り始めた零戦を忘れていた。宮部久蔵の奥さんを作ったことで、物語が完結していた。2014年2月の写真が最後になっている。2月は家人が一人家を巣立っていった月だった。零戦はフィギュアーも含めて未塗装だ。恐らく今年2月の段階で、自分自身が満足してしまったのだと思う。1/24零戦、操縦席エンジンは全金属製、胴体木製だが、アルミ板張り、パイロットはエポキシパテフルスクラッチだ。この手作り感覚と、タイミングの良かった、映画永遠の0、三回も映画館で見た。
 実機の零戦は、国立博物館、靖国神社で見学。実在の人物をモデルにフィギュアーも作れた。操縦席左のレバー付近に、小さな紙片「もしあなたが運よくこの戦争を生き残ったら・・・・・・・・」と記載した。
 自分なりに、模型作りの楽しいところは全部した。アルミ板厚による、段差,胴体表面は凸凹だ。操縦席は、真鍮製だ、翼には、真鍮製のマスバランスがついている。

 名古屋3点クラブのMさんから、60周年記念展示会のご案内をいただいた。県営名古屋空港は、小牧だ、浜松からでは距離がある。経済的問題があり、迷ってしまう。趣味なので、何をどこまでやるかは、個人の裁量で許す範囲となる。
 
2014.8.23 化粧なんてどうでもいいと思っていた  化粧なんてどうでもいいと思ってきたけれど、
せめて今夜だけでもきれいになりたい
今夜あたしは、あんたに逢いにいに行くから、最期の最後に逢いにいくから
あたしの出した手紙の束を返して。 中島みゆき
 宮部松乃の表情がさえない。夏休み後ずっとさえない。
いろいろ考えてみる。そうだ化粧がさえないのだ。
 やる気バリバリのときは、化粧もバリバリだ。
素顔に近い表情だ。
松乃を作ってから、正直化粧なんてどうでもいいと思っていた。
でも松乃は女だ、ピンクと白を薄くつくって、エアブラシで頬に吹く。
これはファウンデーションだ。白粉をつける。
薄い青で、目をうす塗りする、青目の松乃を見ると黒目も入れたくなる。
黒を極細筆にほんのわずかつけて、目を入れた。
髪もすこし剥げている、黒髪を顔との境界部分までしっかり染める。
胸元も顔と同じうすピンクで色気を出した。
松乃、いい女になったね。
自信のない松乃はどこか、さびしそう。
松乃見違えるようになったね。
松乃、七半乗っているんだってね。
すごいね、尊敬しちゃう。

追伸に書きたい
人それぞれの時代はある、20代が一番良かった人
今にして思えば、楽しいばかりの学生時代、人それぞれの時代はある、結婚して、子供ができて、
今にして思えば、楽しいばかりの、30代だった、、人それぞれの時代はある、責任が重くなり、家族の成長が楽しみだった40代
そして今あと一年足らずで、50代も終わろうとしている。いろいろなことが理解できて、いろいろなことができるようになった50代
多少なりとも人の気持ちが理解できるようになったのは50代になってから
人はそれぞれ、気を出している、それが読めるようになったのは、最近のこと

人それぞれの人生だから、何もできないけれど、精一杯生きて欲しい。
2014.8.15 靖国参拝  2014.8.15 「軍装コスプレ参拝者?」「帝国海軍軍装同好会」
8.15靖国参拝に、旧軍の装束をどう思うか、英霊に敬意を持つなら服装にこだわらない人
軍装参拝が存在することは、平日の単身軍装参拝者をかつて見たので意外ではなかった。
一団でラッパを吹きながら、行進する姿は初めてみた。
今日の目的は、英霊が8.15に靖国に集うことを体感できるかだ。
大鳥居前から、横10人、長さ100mの一般参拝者の、参拝行列ができている。
周辺道路はバリケードで交差点封鎖、靖国通りの両側は機動隊の
警備車両で、埋め尽くされていた。
参拝バスは幸運にも、予約が効いたのか、境内駐車場に駐車できた。
多くの人が、さまざまな服装で誰が何を考えているか分からない不安
警察や、機動隊、ガードマンが配置されている、抑止力がなかったら不安
なんらかの、いざこざ、衝突は十分に発生しえる。警察はその抑止力か
 過激派行為の不安、人ごみに行くことはリスクがあると思う。
伊勢神宮初詣は、人の気持ちが想像がつく、ここでは想像できない人がいる。
 8.15 10:00am大鳥居付近
団体の所属を示す、のぼり、旗は大鳥居より内側の、門内から禁止された。
地名を示す紙は掲揚禁止とはならなかった。
団体参拝受付、参集殿でお祓いと、参拝の説明を200人ぐらいづつ受ける。
そのあと本殿で集団参拝、参拝後、杯に記念のお神酒をもらう。
お神酒を拒否する人はいなかった。
断酒中の、私も、失礼とならないよう、杯の底にほんの少しのお神酒を半分程度口に入れた。
口内を湿らせる程度とした。団体参拝者に軍装者はいない。喪服姿の方は見られた。子供はいなかった。
映画の一場面のようだ。
遊就館内部の、零戦、大混雑、許された時間は一時間であり、最期の飛行機、戦車に的を絞った。
家内は「遊就館」は初めてなので、彗星艦爆をアツタエンジンとともに解説することができた。
彗星は、父が戦争中、美保飛行場で、飛行練習生として搭乗したことのある機体だ。
家内は飛行機の大きさに関心したようだ。
洋上飛行は、長距離となるため、主翼下部に大型燃料タンクが、取り付けられている。
いつも一人で、広い展示ホールに見学者は私一人の状態で平日見学している。
帰路売店で「疾風」の資料本を購入した。
2014年発売の新書で、購入できてよかった。
今日の目的、英霊の感触は、
参集殿から、本殿の間に中庭がある。そこには中央に通路状に敷物敷かれている。
左右には有名団体の献花が供えられている。
 中庭中央に「20程度の小隊が、佇んでいる姿を想像した」
彼らは、陸軍の兵隊のようだ、茶色系の軍服を着ていた。


2014.8.9 永遠の0 DVD  夏休み、水道工事の工賃臨時収入があり永遠の0 DVDを買った。映画見たときから買うつもりだったが、買いやすい環境ができた。
息子は、映画を見ていないので、一緒に鑑賞した。わが愛機永遠の零戦は、その後家人によってTV前から墜落事故で、搭乗員の強打損傷、
プロペラブレード一枚、折損事故があった。搭乗員は致命傷ではなく、頭部、背中強打で若干の姿勢変化があり、猫背気味になった。
プロペラブレードは一枚削り出ししなおした。アルミ張の表面のままの零戦、塗装する気持ちはまったく起きない、アルミ地肌は最高だ。
 映画館とはまた違った印象だ。映画館はスクリーンの大きさから、その世界に入り込める。つまり自分が零戦搭乗員になった気持ちになれた。
DVDでは大画面で鑑賞してもTV画面であり、作り物、役者の印象が強くでる。トイレ休憩、中座も自由自在で、鑑賞中にトイレ休憩ができない映画とは
大違いだ。DVDは画面飛ばしができる。飛ばし操作をすると、次の戦闘画面、零戦画面に飛ぶことは、ユーザーに親切な設計だ。
 ストーリー自体は、4回目なのでいまさらという感がある。零戦コックピットだけのシーンは、何度みても、搭乗員の気にさせてくれる。
季節が夏なので、ラストシーン後のエンディング画像の、夏の入道雲がいい。千葉県白浜の赤城甲板セット、奄美大島ラバウル、
デジタル合成赤城、本土のデジタル合成空中戦で空薬きょうの落ちる映像、コックピットの出来栄え。
音声選択画面に、英語の選択肢はなかった。もともと国内版で、英語吹き替えすれば、声優も必要でそれなりの費用が必要だ。
英語字幕はない、英語字幕があれば米国での視聴が容易になる。4月号TIMEの記事に、安部総理、百田尚樹、永遠の0、南京虐殺、慰安婦が出た。
TIMEの米人記者は、南京虐殺が虚構であり、慰安婦が強制連行ではないことを見抜いていた。そればかりでなく、神風パイロットを称賛尊敬していた。
当時の米兵も、国の為に命を投げ出して戦うパイロットに畏怖の念をいだいていたそうだ。雑誌記者は知識人だが、一般人までもがどうかわからない。
このDVDが英語字幕付きで米国内で売られたなら、その意味は大きいだろう。そしてこのDVDを米国人が見てくれたなら嬉しい。
神風が、イスラムのジハードとは違うことを理解してくれるだろう。オスプレイ反対で、基地前で奇声を上げる人たちは、本当に日本人だろうか。
中国人工作員の息がかかっている。もしくは、平和ボケして、自分の利益しか考えない自己中心主義者だ。
中国の軍事的脅威で、日本の領土の一部が侵されようとしている。無人島を一般人から買い上げた東京都知事は先見の目があった。
中国の軍事的脅威は許してはならない。どんなヘリでも墜落の危険性は、飛行機以上に高い。ドクターヘリ、山岳救助にヘリは不可欠だ。
現在の東アジアの中、韓、日の軍事的抑止力として、オスプレイは必要不可欠だ。島嶼部の侵略に即時対応可能な輸送機にオスプレイは最適だ。
 模型マニアでは、オスプレイな人気機体だ。静岡ホビーショーにもオスプレイの展示は比較的多く見受けられた。
零戦模型は、次世代に入った感がある。市販キットは相当の工夫、情景描写を行わないとインパクトはない。
本物零戦部品は、簡単に手に入るものではない。照準器など夢の、また夢。敗戦国日本に、本物の機体は数える程しかない。
本物を見ても、一日中見ていられるわけでもない。長くて30分、通常10分も見ればあきてしまう。
8月15日、家内と一緒に靖国零戦を見られることになった。楽しみだ。
2014.6.7 ウルトラマンはいた  ウルトラマンはいた。
土偶の存在に耐えかねていた松乃であったが、心の救難信号は発信しつづけていた。
心の信号は、専用の無線機が必要だ。標準装備の零戦には、無線機が備わっているのだが、
「こころの周波数」はアクセスキーが必要だ。
このアクセスキーの存在に生涯気づかず終わるパイロットも多い。
 それは「目に見える敵機だけを狙うパイロット」には気づかない。
目に見えない敵機が存在するのだ。
長年航空無線機のマニュアルを執筆している松乃はいつしかある暗号を入力すると、無線機の周波数が、人のこころの周波数に同調することを感覚的に覚えた。

 「わたしを守ってください」その信号は発信された。

彼はたぶんM72星雲から来たのであろう。育ちも、人格も、違いそうだ。
崇高な人には後光が差す。まさしく後光が差している。
2014.5.31 宮部松乃と土偶の関係  零戦搭乗員宮部久蔵の妻、宮部松乃は2歳の女児の母である。彼女は職業婦人でもあり、託児所に子供を預け、無線機製作所に勤務している。無線機は零戦に搭載される機上無線機だ。
 職場には土偶がいるらしい。その土偶は、無線機の修理や調整を担当している土偶である。松乃は帝国海軍向けの、無線機の取扱い説明書を書くことが職務である。松乃は女性でもあり、技術の専門職ではないが、海軍軍人が、わかりやすいように、取扱い説明書を記述する才能にたけている。一般事務員としての採用だが、半ば技術者でないと記述できなことまで記述する。土偶は無線機の設計技師ではない、単に修理や調整をするだけだ。土偶は、海軍式のスパルタ教育、男社会で生きてきた独身であり、女性と職場では接することは経験がなかった。土偶が松乃にかわすことば「そんなことも知らないのか。」実際知るわけはないのだが、その言葉で松乃は傷つく。
 宮部久蔵は、帝国海軍軍人であるが、そのことを知る由もない。
土偶は、所詮土偶である。人間としてやっていくには少し配慮が足りない。
土偶にそのことを、言って聞かせても、理解できないであろう。
 松乃は優秀な女性である。そんなことでくじけない。
幸せな家庭を築いてもらいたい。
2014.5.5 フィギュアー着色  和服女性つまり、宮部久蔵の奥さん、宮部松乃ができた。
自分の技量の現時点これが限界か、プロの造形師ではないので、なんとかフルスクラッチで
それらしき、和服女性を作ることができた。
世界に二つしかないが、同じようにはできなかった双子だ。
今日で会社の休みは終わりだが、明日一日休暇を取ったので明後日から出勤だ。
気になっていたフィギュアーが完成したので一安心だ。

Green leaves in May sun shine
何事もなかったはかのように、その大木は立っている
父の母校の旧制中学、現農業高校のバラ園に行った。
70年前はここから多くの生徒が、兵隊として巣立っていったようだ。
今は同じ年頃だが、平和な時代に生徒が学んでいる。
背中に初夏の日差しを感じる。
あと一週間でバラは見頃を迎える。
何の拘束もない5月の連休。
2014.5.4 フィギュアー着衣  連休一週間目、フィギュアーに着手した。
和服の女性は初めてだ、結構難しかった。パテを平面状に引き伸ばし、布のように胴体に巻いた。
伸ばしすぎると薄くなり紙状のパテが裂ける。何回かパテ伸ばしをやり直した。
帯紐は真鍮線で製作、結び目ははんだ付けした。
袖なし状態で着衣を着せ、最後に袖をつけた。
立たせる固定台は、着衣製作後に、はんだ付けした。
なんとか形になったようだ。撮影4は午後4時、西日の射す駐車場の自車のフロントにカッティングシートを水平において撮影した。室内撮影も何度か試みたがいい感じに撮れなかった。

 連休は仙台に行った。二泊三日の仙台旅行だった。青葉城、ボークス仙台ショールム等楽しめた。
2014.4.13 胴体製作  2週間ぶりで、フィギュアーの胴体製作をした。
足は、真鍮線をもう一本はんだ付した。着物姿なので、二本の脚を完全に作らなくてもいいかと思った。
作ってみると、素体状態で女性の体形を作らないと、人体にならないことが分かった。
足が一本ではこけし状態になってしまう。腕は胴体硬化後、別の真鍮線を差し込む穴をドリルであけた。
手のひらはうまくいかず苦労した部分だ。左がプレゼント用、右は自宅用。贈呈用のほうができはいい。

大日本絵画の、アーマーモデリング5月号を購入した。
フルスクラッチでのフィギュアー製作記事があった。フィギュアー自作はやはり顔だ。
顔さえなんとかなれば、胴体はなんとか恰好がつく。


今週は以上です。
2014.4.20 休憩(古代気候)  地球全史スーパー年表(岩波書店2014.2.18),一万年前(イーストプレス2014.1.30安田喜憲)を勉強した。両書より古代気候に関する知識を得た。氷河期が終わって気候が安定したのが10000年前、紀元前8000年だった。紀元前8000以降、現在と大差ない気温のようだ。更に5000年遡ると、氷河期終期に入り、平均海水面は100m低くなり、海水温度は緯度により異なるが最大8℃程度低くなる。人類の急激な文明化は、地球温暖化による紀元前8000年以降と考えたい。7000年前平均海水面は現在より平均4m低かった。この時代が歴史的に最も興味ある年代。土偶、縄文土器の作られた時代だ。人類は5万年前には、言語を獲得していたと考えられる。言葉は化石にならないが、埋葬文化、壁画等からの推定だ。7000年前十分な言語コミニケーションが取れた人類はどんな生活をしていたのだろう。この時代にピラミッドが建造されたと考えている。
2014.3.30 ヘッド製作 合計3個のヘッドを製作した、左側のが最初に作った作品だ。
こういうものは、偶然品質のようだ、3作作ってだんだん出来栄えが悪くなっていった。
3作目は撮影はやめておく。左のヘッドが気に入ったので、これで素体の製作に入れる。
来週ゆっくりやることにする。
マス目は、一応1cmだ、顔は約1cmという大きさだ。
多少頭でっかちで、身長6cmの6等身フィギュアーで狙い通りだ。

2014.3.26 宮部松乃スケッチ2作目  作ろうとしている、宮部の奥さんイメージが煮詰まってきた。
その女性は、顔が小さく、目が大きいことが分かった。髪は長い。
フィギュアーなので、6等身で頭でっかちにしたい。
顔全体にしめる、目鼻口のパーツ面積は大きい、つまり余白は少ない。
上唇はうすい。えくぼはある。
 
いままで、頭のなかのイメージだけで作っていたが、モデルを設定した。
なんとかなるかもしれない。

 人物彫刻作っていて、その人に似た瞬間がある。
その時、木材は彫刻になる、パテはフィギュアーになる。
 その瞬間が快感だ。今回1/24人物で顔は小指の爪より小さくなる。
この人物がパテで造形できるのか、挑戦したい。

3月が終わろうとしている。
2014.2.23 玄関前庭木 金、土、日の三日間毎日午前中1時間程、玄関前の庭木の枝落としをした。庭木の種類は、金木犀だ。成長しすぎて困っている。5年ほど前、枝を切り落とし、切り落とした枝を業者に始末してもらうだけでかなりの費用がかかった。燃えるごみで出せるように成長しないうちに切るようにしている。
 上方に成長すると電話線にかかり、北側に成長すると、道路に張り出してしまう。以前は道路側に張出、信号が見えずらいぐらいにまで成長してしまった。
 金曜日は風が強かった、土曜日は寒かった。日曜日の今日は作業し易かった。
昼は浜松では有名な、ロシア料理店で外食した。中心街に外食にでることは、久しぶりだった。
ネットで探した店で私は初めてだったが、家内は二度目だそうだ。値段はリースズナブルだったが、満足度は値段に比例する。コーヒー好きの私だが、最後のコーヒーが苦く、おなかを下してしまった。激辛担担麺でも平気な胃だが、この店のコーヒーは相性が悪かった。金土日の製作は、庭木選定、燃えるごみに出せる袋詰めと、枝を束ねることだった。消費税前の、消耗品買い出しは、家の分、家内の実家の分と二軒分も買い出しの運転手をした。ガソリンは3台分スタンドに給油にいった。
 フィギュアーの顔は、前作を3個つぶし、新作を2個作った。こちらは、納得のいかない出来栄えだった。3月末完成はむずかしい。
Spring has come.
My daughter bringed a lot of herb tea samples.
Some time I drink herb tea,too.
I serve a bag of herb tea. And I drink.
A cup of herb tea brings me a confort.
At Sunday night,I dream.
Dream makes me active.
2014.3.9 家内用製作スペース  家人が家を出て行ったので、家人の所有物が置いてあった場所が空きスペースになった。
家内がミシンで製作を再開したいと言い出した。部屋を整理して、作業テーブルを買った。
ニトリで買うとかなり安い。
照明は、私の製作用ドラフター用のZライトを使うことにした。
二人の製作がかち合うことはない。家内は昼間やると言っている。
 出て行った家人が小さいころ、よく子供用の洋服を家内が作ったものだ。
そういうわけで、フィギュアーの宮部奥様は全く進んでおりません。
またぼちぼち気が向いたときにやります。
2014.3.2 宮部松乃  宮部久蔵の奥様、宮部松乃を製作するにあたり、イメージ画を描いた。正面が正しいイメージで横顔はいまいちだ。映画では髪結っているが、ここではロングヘアーを右前にまとめてたらしている。背中には女の子の赤ちゃんを背負っている。和服姿で、おんぶひもを正面にバッテン印につけている。
 ヘッドを製作着手した。
 
2014.2.25 アンテナ空中線  土日月と家の用事があり模型製作はできなかった。アンテナ線を土曜日の朝張れた程度だ。週末から3月になる。3月は気分転換で、宮部の奥さんを作る予定だ。4月になると気候もよくなり、外出したい気分になるので3月中に完成させたい。
2014.2.19 主翼灯火   主翼上面には左には赤い表示灯、右には緑の表示灯が2か所づつ存在する。
これを透明樹脂に、クリアーレッド、クリアーグリーンを塗り表現した。
補助翼のマスバランスも、紡錘型をした真鍮の部品が確認できる。
胴体のリベット表現、補助翼の筋もかろうじて確認できる。
日の丸、部隊記号の数字、アンテナ空中線などをどうしようか迷う時期だ。
日の丸は左主翼上面と、右胴体だけにしようと思う。
左右対称で、主翼も胴体もつけてしまうと、面白くない。
部隊記号は、垂直尾翼右側だけにつけようと思う。
製造メーカー、機体番号は胴体左後部の定位置に書き込む。

 それと並行して、宮部久蔵の奥様をつくりたい。
このカメラ視線の位置に赤ちゃん、清子をおんぶして主人が出撃搭乗する
姿を見守る。これは想像上の奥さんの姿だ。
宮部の心の奥底にある、奥さんが後ろで見守っているイメージを表現する。

2014.2.17 機体リベット表現  隣家に御不幸があり、用事の為休暇をいただいた。用事は昼前後で終わった。今日は気づかれで、製作はしていない。昨日機体のリベット表現をしていたが写真撮影していなかった。昼の太陽光線では、アルミの表面にルーレットで傷をつけた程度のリベット表現は全く写真で観察できない。昨日の写真にはリベット表現がしてあるが、太陽光ではまったく見えない。夜になって、LEDライトの照明で撮影を試してみた。3回試して撮影に成功した。機体の部分を拡大しないとダメだ。尾灯が映るように配慮した。透明なプラ材を尾灯の形状に削り機体尾部を切断し、1mm真鍮棒で串刺しにして止めた。昇降舵、方向舵の波布張りの表現は、小径砥石で傷をつけたが、これはうまい表現にならなかった。
後日もう少し、他の方法で修正を試みたい。
 金属の重厚感、手作り感じはでている。上手いかは別です。
細部を見られると、職人が作った工芸品とは違う。DIYの延長です。
尾輪は真鍮旋盤削り出し、丁度いいサイズの○加工は旋盤でないとできない。
アルミパネルの継ぎ目がそんなに精度がよくないことは写真でわかる。隙間ができないことを優先させた。尾翼と胴体のフィレットは、パテで埋めて、銀塗装している。
2014.2.16 脚出主翼上赤色突起、マスバランス  補助翼翼マスバランス、を真鍮1mm棒と3mm棒ではんだ付けで製作した。主脚が出たことを確認する主翼上の赤い突起は1mm真鍮棒を板状に成形し製作。マスバランスは、左エルロン部に見える。操縦席シートベルトも確認できる。
 機体にアルミ貼り終わってから一か月になる。ゼロ戦は楽しませてもらっている。機体の塗装はしないが、日の丸と部隊番号は入れたい。フィギュアーは色をつけたい。あと何回楽しめるだろうか。
 宮部の奥さんも作りたい。〇戦と宮部搭乗員を起点に、ドラマを作ってしまいそうだ。SAのジオラマは、52型と、21型の機体交換シーンだった。それはあたりまえすぎる代表的場面だ。現実の映画になくてもいい、作ったのは21型だ。21型のわきで奥さんが見送る場面でもいい。現実に一般人が飛行機のすぐ近くで見送りすることはありえないが、想像の場面だが、それでもいいような気がする。
 赤ちゃんをおんぶしている、和服の女性にしよう。彼女が飛行機のわきに立っている。赤ちゃんは清子だ。
 
2014.2.15 落下傘ハーネス製作  わずかに残った使える部分のDUROパテをこねて細い紐状にして、落下傘ハーネスにした。操縦席はケント紙でを切り出しクレオス水性塗料で塗装し、真鍮線で金具をつけてシートベルトを製作した。紙製だが上手くできた。本屋で、SA3月号が販売されている。やっぱりあった、永遠の0情景特集、プロの作ったプラモジオラマだ。飛行機はプラモなので、比較対象ではないが、私は自分の作品に満足している。右ひざ上に、航空地図のマップ入れ、首にはタミヤパテでマフラーを新たに追加した。昨日までの雨も上がった。風は強いがいい土曜日の午後になった。今朝は、朝から風呂場出口の洗面台下部の壁に穴が開いていると家人から指摘があり、DIYのあまり資材の化粧ベニヤ板で手洗い台下の壁を覆った。DIYは30分で上手く仕上がった。
2014.2.12〜14 搭乗員シルエット  岡田搭乗員を機体に乗せた状態、インパクトトライバーの充電式LEDライトで照明している。操縦席機銃後部の、機銃番号の漢数字が見える。プロペラは回転しているので、シャッター時間だけぶれて見える。左レバーの根本に、書き置きのメモも確認できる。エンジンは、アイドル状態で、静かな音を立てて回っている。
 映画の影響でここまで楽しめて作れたことに、永遠の0に感謝する。仕事が終わって夕食後、この鑑賞が楽しみになった。フィギュアー製作は急いではいけない。一工程づつ、完全硬化、修正のステップを踏めばなんとか形になった。
 2007年11月号スケールアビエーションに、竹一郎の、1/48フルスクラッチ日本兵搭乗員の作例と、製作の解説があり、購入した。7年前のことだ、飛行機もフィギュアーもよくここまで上達したものだと感慨がある。パテの素材が決め手だ、雑誌紹介の通り、セメダイン社の木部用エポキシパテで素体を作る。類似品でボンド社の木部用エポキシパテがあるが、使えない。硬化時間が全く異なる。セメダイン社は30分硬化だが、ボンド社はいつまでも固まらない。洋服はDUROパテ(MS Models輸入品)が一番だったが、地方では通販に頼らないと入手できない。どこの模型やでも手に入る、タミヤエポキシパテがおすすめだ。高密度タイプの白い方と、即硬化タイプの茶色を混ぜて使う。タミヤパテとして、半分の量しか使えないが、仕上がりを考えるとコストは度外視したほうがよい。両方のパテ合わせても1000円少々。それで。フィギュアーが自作できるのであれば安いものだ。補足説明:タミヤパテは粘りがある。薄手の透明手袋をしての作業がおすすめ、更に手袋パテが付着した場合は、ベビーパウダー等をつけると作業がしやすい。

2014.2.14追記:表紙写真をテレビの前の状態に変更した。居間で一番目立つ位置においてもいいと家内が言った。居間のテレビ台の前側は塗装が一部剥げていたがエアブラシで修正したかいがあった。テレビのシルバーと、機体のアルミがマッチして見栄えがする。0戦の夜は、寝室でLED照明、昼はテレビ前が現在定位置になった。明日の土曜は、いよいよフィギュアー小物だ。楽しみだ。機体のリベット表現もなんとかしたい。裁縫用ルーレットと、ケガキ針の両方で対処する予定だ。ここまでくると急がず一か所ずつポチポチ打つのも楽しいかもしれない。目立たない位置から練習したい。
2014.2.11 搭乗員着衣  岡田搭乗員の飛行服を着せた。楽しみにしていたデューロパテは、購入後3年以上経過したのが原因か、寒いのが原因か、混ぜる前から、硬度が高く、とても小さな人形の着衣として展開できなかった。2度試したが、ダメだった。手持ちのタミヤエポキシパテで着衣を表現した。あとは、落下傘ハーネスその他小物を装着して宮部久蔵に似せたい。硬化後、デザインナイフで少し余分な部分を削り取り修正もしたい。ハンドリューターで、サンドペーパー修正とも思ったが、デザインナイフの方が微妙な修正がきく。
 この状態のフィギュアーを、○戦に仮付し、側面から照明をあてるとシルエットが浮き出て、影もつき見栄えがする。
2014.2.10 フィギュアー素体  明日は休暇を取ったので、夜フィギュアー素体を肉付けした。硬化時間の関係で明日、素体削りもしたく、硬化させて終わりたかった。下の真鍮針金状態から体らしくなった。左腕ひじに太い部分があるがそれは明日削る。注目は機体との取り付けです。左足は下部からM2ソケットボルトで目立たず機体のステップに固定されている。この部分の工作で昨日M2タップを折った。
 なんとなく日本人の体形になった。つまり身長の割に頭が大きい。
2014.2.9 宮部搭乗員体形  宮部体形骨格が、φ1mm真鍮線で、形になった。午前中は、カーテン買い出し。午後一は、風呂場入り口の床が水で腐ってぶかぶかしている部分をt=2mmアルミ板で補修。宮部ヘッドで一日、骨格体形で今日半日、かかった。次は素体肉付けか。心配していた機体サイズと人物サイズのアンマッチは起こらなかった。人物身長は70mmだ。一番の工夫は、左足がステップにM2ソケットボルトで下部からねじで固定し、取り外し可能なこと。M2タップを一本折ってしまった。今度ホームセンターでM2タップを買いたい。昨日東京は雪だったようだ。今日の浜松は快晴だ。岡田のつもりで作っているが気負わず作れている。
 昨日雨の土曜日、用事があり、高層ホテルで和食ランチをした。家内と二人だった。雨でも展望はよく気持ちのいい昼食だった高級店は、いるだけで幸せな気持ちになれる不思議な空間だ。また行きたいと思える店だった。(HO31F山里)
 
2014.2.6 家内が褒めた  製作中の0をみて、家内がやっとカッコいいと褒めてくれた。どこがいいのか聞くと、表面の銀色がいいと言う。当たり前だ、本物のアルミ板張っている。前の銀塗装の方は、やけにテカッテいるとのこと。アルミはどうやって張ったか聞かれた。木の棒でしごいて張った。ご苦労さんだね。当たり前だ、肉体労働だ。0戦を手に持って、ブーンと飛ばす。いいね幸せだね。綿棒にアルコールを浸して、操縦席内部を磨く。プロペラを回転させて、充電インパクトのライトで操縦席を照らす。次は宮部久蔵の胴体を作ってやりたい。
2014.2.3 宮部搭乗員  宮部搭乗員のヘッドです。偶然だが、映画館で買った、パンフレット表紙の写真サイズにほぼ等しい顔の大きさだった。顔は見せないと話にならないので、多少修正はした上で掲載することとした。寝る前布団の上で、耳の垢より小さいパテを宮部の両耳にした、右頬が少し足りないので、ごく少量のパテをこすりつけて右ほおの盛り上がりを修正した。自分としては満足できる顔になったので、これから胴体の基本形状を真鍮線をはんだ付けでつくる。機体へのフィギュアー固定は、スピットファイヤーのときと同じように、主翼上にある右足のかかとにM2タップを切った真鍮棒を入れて、翼下面からM2六角穴付きボルトで固定の予定だ。
2014.2.2 絨毯張替  室内をリニューアルしている。廊下の絨毯を張り替えた。
フィギュアーはヘッドを作ってみた。このぐらいの距離の写真ならいいが、人としての目口鼻はある、岡田とはいいがたい、エポキシ樹脂が完全硬化していない、修正してさらに人物の顔を作りこみたい。機銃後部の漢数字が見える。居間の蛍光灯を付け替えた、そんな事情で、趣味の時間はあまり取れなかった。
 絨毯も、蛍光灯も息子に張替、取り付けをやってもらった。私は、段ボールを切り刻んですてるとか、下働きをやった。
 絨毯の買い出し、蛍光灯器具の買い出し、取り付けで休みは終わった。
岡田ヘッドは、家人に少しはうまくなったと褒められた。
現状は、拡大してで掲載する勇気はないです。
2014.1.29 靖国0  東京で先週撮影した、靖国神社の52型です。胴体左の搭乗員が乗り込む側、つまり足かけのステーや、手もちノブのある側だ。足かけステーも、手持ちノブも出た状態でφ1真鍮棒で再現した。そこに足をかけて、左手を前側風防、右手を開いた後部風防に手をかけて、操縦席内部をのぞいている姿勢の岡田の表現だ。靖国の0は、日の丸がきれいだ。胴体色は塗るつもりはないが、日の丸はつけたい。あと1月も残り二日。結構忙しい月だった。
 本機体は、東京での所用先から徒歩10分であり、かなりの回数見学している。ロビーは入場無料で、撮影自由もうれしい。遊就館内部の彗星は撮影禁止だ。零戦模型を作る前には見ておきたい機体です。浜松広報館は、天井吊の52型で、機体までの距離が5mぐらいある。プロペラや、主翼端は触れてはいけない原則だが、触ろうとすれば触れることがありがたい。この位置からの〇戦は、いざ乗り込もうとする、搭乗員の気持ちになれることがうれしい。既に10数回見ているはずだ、あと何回見られるかわからない。遊就館のチェックポイントは、売店の書籍やDVDです。飛行機好きとして、あるいは自衛隊ファンには掘り出しものあるかもしれない。世の中には、靖国神社の意味を正確に理解しないか、左翼勢力の言うことをうのみにしている方々もいる。マスコミは左翼系が多いので、そういう方々もいる。靖国神社は、神社側の警備員もいるが、警察官による警備も頻繁にみられる。稀には昔の軍服姿で参拝するおじいさんがいたり。右翼の街宣カーがおとなしくしていたりするミステリースポットだ。靖国0は、平成になってからほとんど新造された部品で構成されている。オリジナル率は低いはようだ。本機は、奉納寄付されたものだ、上野の0も寄贈されたもので貴重な資料だけに寄付された方々には頭が下がります。
2014.1.26 午後2時半 太陽光とストロボ併用  製作が進み、エンジン回りが実機に近づいた。残すところ、搭乗員フィギュアーか、岡田准一・正月から零戦1機つくったことになる。会社の、同級生が「映画0」をあらかじめ購入してた前売り券で見に行ったようだ。日曜午後3時代の上映で満席だったと聞いている。皆さん案外ゆくっり見るようだ。今度の土日で一月は最後だから、2月は、永遠の0は終わっていると思う。楽しませてくれた映画だった。同級生が最も印象に残った場面は、喜界島に不時着した52型の操縦席左レバーに挟まれたメモだったそうだ。
 機体表面のリベットは、まだ表現していない。これは修正後戻りできないので、冷静に急がず、ゆっくりやル予定だ。
 ハンダ使用量が多い、真鍮模型作ったせいか、数年前に買った、やに入りハンダ一巻が残り少なくなった、ペーストも相当量使用し、予備をホームセンターで購入した。ホットカーペットを今頃買うもい人ないだろうが、段ボールはかさばり、ホームセンターの資源ごみですてた。
 ここまで製作して、操縦席内部に手を加えられるのは、真鍮部と木製部分の接合部で操縦席が前後に分割できることにある。機銃穴でM4ビス結合だ。機銃の後部を黒く塗り、機銃番号漢数字を書き込む。数字は雑誌の写真に合わせた。照準器下部の安全パッドも茶色く塗った。ピトー管は、作業で曲がりやすい。修正作業の度、ピトー管は引き抜いて外す。
 岡田はどんな顔になるのだろうか。そもそも岡田に似せることができるのか、それもやってみないとわからない。これは大人の遊び、岡田と思えばいい。
 主脚が出た状態で、主翼上面に飛び出す、確認用の赤い小さなプレートがある。どうしようか迷う。21型は、マスバランスも主翼から出ている。1/24のサイズは金属で星形エンジンが作れる大きさからきている。1/50でも作ったが、それはミニチュアで金属の質感があるエンジンではない。直径50mmの星形エンジンは、見ごたえも質感も、作りやすさを兼ね備えた大きさだ。
2014.1.26 操縦席 追加工 左は機体を分解状態、20mm機銃穴M4結合、右は操縦席機銃番号を漢数字で記載した状態。カウルフラップ、今日の工作はこれで終わりにしたい。右に少し見えているが、操縦席吊り上げゴムも取り付けた。
2014.1.26 カウルフラップ  国立上野零戦のエンジンには、カウルフラップがついている。私の零戦21にはついていない。カウルフラップをつけたくなった。片側4枚つくればいい。
どうやらカウフラップを付けることができた。
零戦の感じがでてきた。
 操縦席を上に吊り上げるバランスゴムのローラーも作りたくなった。小さい部品なので短時間でできると思う。装着の為には、もう一度真鍮の操縦席から前を取り外さなくてはならない。面倒だが
それも楽しみか。
2014.1.25 エンジン前側カウルリング追加  一日かかって、エンジン前側カウリング固定用のリングを製作した。
最初は真鍮棒手曲げ、2回目が既存のボトル等に真鍮丸棒を四角く削り込んだ角棒を巻きつけた。いずれもかなりいびつで、修正しても真円にほど遠かった。
 本品はエンジン前で最も目立つ部品であり、いびつなリングは捨てた。
 最後に、アルミの外形φ50、内径φ45のリングを削り出した。
ミニ旋盤で削り出すには2時間ぐらいかかった。途中休憩した。
 前回製作の、アンテナ支柱、ピトー管も見える。
送受席左のレバー付け根に、小さな紙片が見える。例のメモだ。
 左主脚つけねの小カバーもわずかにのぞいている。

昨晩は、週末で仕事が終わってから、ホットカーペットを買い出しに行き疲れた。シーズンも終わりなので、かろうじて在庫がある程度。選べる状態ではなかった。2軒回ったが、最初の店のにした。
 二晩ホットカーペットが壊れたので、エアコンのみだったので足元が冷えた。
あったかくならないホットカーペットは、はさみで切断した。燃えるごみにだせそうだ。昼は、家人二人と三人で、うなぎパイの工場見学と、家具屋散策だった。
 あまり寒くない土曜日。
2014.1.23 国立科学博物館零戦21型  恐らく2年ぶりぐらいで、上野の零戦21を見学した。東京で久しぶりに見たかった零戦21を見ることができた。現在制作中の零戦21だ。中学生が修学旅行なのか、大勢いた。みな〇戦は「永遠の0」と呼んでいた。ボランティア説明員に寄贈された計器盤の展示予定を聞いた。彼らは知らされていないということだった。
 見学は何度目か、忘れてしまった。旧展示から数えると、7回目ぐらいになると思う。結構見たものだ。いくら〇戦が好きでも30分は見ていられない。せいぜい20分だった。それ以外の展示は見ていない。〇戦一点見学だ。20mm機銃の銃身は主翼から出ていない。この〇戦21が好きだ。博物館のショップでは、コルセアの本を買った。
 秋葉原に行こうか迷った。店の開店までにまだ一時間もあるので、もう一機の靖国〇戦52型を見ることにした。遊就館ロビーの零戦は見学無料、撮影制限なしだ。久しぶりで、見学料金を払って、彗星も見た。
 星形エンジンの前にある、エンジンカウリング固定用の丸いリングが気になりだした。これは私の模型にはついていない。プロペラ形状とスピンナー形状、それからプロペラ外周の2本の赤線はなんとか模型は本物と一致しているようだ。
2014.1.22 ピトー管、アンテナ支柱、タイヤ、脚部品  昨日車検、病院、散髪で用事が3件ほどあった。次の用件までの待ち時間があり、隙間産業みたいに、1時間づつ、2時間模型に触れた。アンテナ支柱はφ3の真鍮棒をグラインダーで削り出し、映画パンフの表紙写真の形状に加工した。バイトの成形をやっているので慣れたものだった。ピトー管はφ2としたかったが、太すぎ、φ1の真鍮棒で加工した。曲がりを意識して着脱可能な差し込み式とした。先端を細める加工は旋盤では無理で、ベルトサンダーで先端を加工した。引き込み脚付け根にある、外側に張り出した脚付け根のカバーの一部のはんだ付け、車輪のタイヤ部分の黒色塗装と小さい部分だが2時間で4か所も追加製作ができた。写真掲載は変化が少ないので後日としたい。
 東京に用事ができた。余裕の時間があるので早めに出かけて、上野国立科学博物館の零戦21型複座を久しぶりに見たい。
2014.1.19 宮部久蔵  だんだん意識していなかった自分のやりたいことが見えてきた。岡田准一を、作りたい。永遠の0映画パンフレットの表紙を飾った、アンテナ支柱の横で立ち、風防をあけた状態で操縦席内部を覗き込むように、いま操縦席に入ろうとしている岡田だ。後姿ならなんとかなる。確実に何とかなる。宮部久蔵だ。映画の宮部を作りたい。操縦席には小さな紙片をおきたい。そこにはメッセージがある。「もしあなたが戦争が終わるまで生きていたなら。そして私の家族が路頭に迷い困っていたなら。どうか私の家族を助けて欲しい。」
 この写真こそ私の製作イメージの原点だったようだ。
小学生のころお父さんに零戦の出てくる映画みにつれていったもらい。
帰った夜、一生懸命鉛筆で飛行機絵を映画の記憶で描いた覚えがある。
それをみて父親は微笑んで、嬉しそうにしていた記憶がある。

 この製作は、小学生が見作た映画を記憶で描いていいる行為の大人版だった。
そのためには、機体の後ろ半分も作る必要があったということだ。

宮部をつくるとなると、2月も宮部で楽しめる計算になる。
顔を何回失敗して、どこで妥協するかは自分との戦いだ。

後姿で良しとするか、雰囲気だけでも似せたい。
2014.1.18 尾輪製作  朝一番で尾輪の製作をした。久しぶりの旋盤作業だ。アルコールで旋盤の汚れを落とした。CRC潤滑スプレーが切れたので、CHホームセンターに買いに行く。尾輪は木ねじで下側から固定した。木ねじの頭は見えないように座グリ加工をしている。翼端灯左の赤色ライト右舷は緑に塗装した。
2014.1.18 機銃口、ヘッドレスト、キャノピー 右クルシー帰投機の丸いアンテナ、キャノピーの窓枠は銀色塗装。一部操縦席のレバーの頭を赤塗装した。今日やりたいと思っていたことはすべてやれた。操縦席ヘッドレストも付けた。ここまでくると最期の仕上げをどこまでやろうか迷う一番楽しい時間だ。
2014.1.17 アルミ張り終了  アルミを張り終わった。待ちきれず、平日の夜張った。アルミは張るもんか、貼るもんか。どうも切手は貼るもんだが、アルミは伸ばして張るもののようだ。危うく指の怪我した。デザインナイフで張ったアルミの端を切り落とそうとして手が滑った。瞬間接着剤で血を止めた。血を見ると一気に製作意欲が落ちる。気を付けないといけない。写真は寝室で、プロペラを回転させて、スポット照明で寝る前のひと時を楽しんでいる。
 次はなにを作ろうか。クルシー帰投機の丸いアンテナ、翼端灯、尾輪、岡田准一搭乗員も作りたい。
2014.1.14 アルミ貼りたのしい
2014.1.16
アルミを貼れることが楽しい。火曜日よる、仕事から帰って、夕食後水平尾翼のアルミを貼った。2時間の作業だった。次の土曜日まで待ちきれず、貼った。つまり楽しい。あとは後部胴体と垂直尾翼を残すのみだ。

 後部胴体のアルミを貼った。垂直尾翼のみ、残すところとなった。
機銃口のボルト頭は、出ない方法に、専用ボルトを作って修正した。
 
2014.1.12 第三者の評価  今朝の状態です。0.2mmアルミ板はCHホームセンターで購入品。巻ロール状態で販売されている。定尺寸法で1/24零戦が一機分貼れそうです。5〜6年前本来のアルミ板貼りは、板金としてのアルミしか販売されておらず、それを焼きなましして貼ったようだ。今では、鉛板みたいにふにゃふやに柔らかいアルミが接着剤付で販売されているのでアルミは誰でも貼れる。
 零戦模型は、前部エンジン操縦席+中央胴体および主翼+尾部胴体と尾翼の3分割できる構造になっている。尾部胴体と主翼の結合は操縦席内部のボルトで行う。前部エンジン操縦席は、主翼の機銃位置にあるM4ソケットボルト2本で結合している。現在ボルト頭が見えているが、完成状態ではボルト頭は隠れて見えない構造とする予定だ。
 緑十字一式陸攻研究家に、半完成状態のこの零戦を見てもらった。手作り感がいいと言ってくれた。一部スケール通りでないことは、デフォルメすることはしょうがないと言ってくれた。またこの模型は塗装しないほうがいいねとも言ってくれた。見る側からすると、どうせなら全部真鍮製がいいねとも言われた。
 またこの零戦、静岡ホビーショーに出演オファーもいただいた。ありがたいことだ。
人に紹介できる自分の趣味も持てることはいいことです。夢は大きいほうがいいね。実現しないうちは、ホラになるが、それでも聞いていてきもちがいい。
2014.1.12 アルミ貼り  久しぶり日曜朝5時起床、午前10時までに主翼と中央胴体のアルミを貼った。
アルミは裏面接着材付でかなり柔らかく、比較的簡単に貼れた。熱処理した、アルミ板ではこうはいかないだろう。0.2mmという厚さを曲面に貼ることを想定した厚さだ。今日は11時から、人に会う約束をしたので、これで出かけることにする。

 緑十字の一式陸攻研究家
昨年磐田市役所で、鮫島海岸に不時着した一式陸攻の燃料タンクの展示があった。その展示を磐田市に働きかけ実現させた方です。
趣味と夢は大きいほうがいいね。「彼の夢は、緑十字の本を自費出版で作ること」だそうだ。いろいろ話は聞いたが、その本のネタなので、紹介するわけにはいかない。零戦やその大戦期の計器を収集することも趣味だそうだ。
メーター単品では面白くないので、機銃弾と、操縦席パネルの写真、1/48プラモの4点セットでお楽しみだそうです。鮫島海岸の一式陸攻から、計器盤者作者のA6M232さんとお知り合いになったそうです。
 A6M232さんが、零戦の計器盤を再現製作していることをお知りになり、彼の作る計器盤に、本物のメーターを米国のネットオークションで落札し、彼に提供しているのだそうです。その計器盤は「永遠の0」出演零戦にも貸し出されたそうです。永遠の0計器盤のうち2個は緑十字研究家さんが提供されたものだそうです。
 
2014/1/11 キャノピー製作  朝からキャノピーの木型を製作午前中までかかった。昼食後、バキューム成形。2回目で製品がとれた。主翼と、胴体中央部のみ下塗り白塗装をした。主翼には0.2mmアルミ板を貼る予定。裏側に接着材がついた0.2mmアルミ板を冬休みに買っておいた。最も貼りやすい主翼から貼って慣れようとおもう。
 キャノピーが不自然だ、操縦席開口部を実機より少し下側まで広げている関係で、キャノピー形状がすこしおかしい。

 この実機との構造不整合は、現段階ではどうしようもない。
デフォルメということで、解釈していただくことにする。
風防形状も異なっている。実機より背が高い風防だ。

この状態でも自己満足で見て楽しめる作品になった。

中央胴体と主翼が、下塗り白色塗装終了状態。
明日このあとアルミを貼る。
2014.1.5 0戦全体像 増槽および、エンジンカウリング下側装着。
家人のデジカメを借用した。いつもより上手く映ってくれた。翼は、下面はストロボ発光による、機体上面は部屋の照明だ。二つの光源がうまくマッチングしている。いつもの私のカメラで、室内ストロボ発行させると、全体が白くなり、写真にならなかった。白木の塗装前の胴体はいいもんです。士の字と言われるこの状態では通常エンジンや、操縦席ができていない。今回は以前制作した、エンジン操縦席と合体させる構想なので、士の字の状態で、機体完成に近いイメージが得られた。
 手作り飛行機模型の醍醐味、私の場合はその構想過程ある。頭だけの零戦を数年前に作った。0戦の映画を見て、機体全体を作りたくなった単純な動機だ。しかし製作の前段階で、胴体を真鍮製の骨組で作ろうかかなり迷っていた。木製胴体はつくりやすい。写真の状態で、胴体はまだ□形状の名残が残る。側面部分に平面の領域が若干残っているようだ。少し太った胴体のようにも感じる部分がある。前面風防がもともとスケールからすると少し大きい。機体全体を作るとバランスが悪いのが目立ってきた。検討結果スケール通りのキャノピーに対して真鍮製キャノピーは全高が5mm以上高いことが分かった。キャノピー開口部、後ろ側キャノピーと形状を合わせることが困難であり、現状のキャノピーははんだ付けを外して、新しく、一体のキャノピーを木型から削り出し、バキューム成形品を新作することにする。
2014.1.5 永遠の0戦胴体、尾翼  胴体の加工は、今日買った、φ100BS木工サンダー#60@980(イチグチ株式会社製サンドペーパーを積層品:カインズホーム)と、主脚下部に10mm×300mm:#60エンドレスペーパー:リョービ製茶色系@980を紹介します。この二つで昨日の苦労は、うそのように楽に胴体の角を落とし曲面成形、垂直尾翼を10mm厚の板から先端まで滑らかに薄くすることができた。特筆はφ100木工サンダーだ、硬い朴材が10mmぐらい一気に削れてしまう。気を付けないと削りすぎになる。エンドレスペーパーは昨日使ったのは、鉄鋼用か緑色系の、すぐ目詰まりして、主翼を削るのにエンドレスペーパーを3本も使った。今日はエンドレスペーパーの予備を買いにいった。
 今まで、基本的な荒削りは、トリーマーで削っていた。しかし、この木工サンダーにもっと早く気付かなかったか。トリーマー加工の場合精度第一なので、完全目分量手加工のサンダーで荒削りするとは思いつかなかった。正月は主翼ができれば上出来、胴体までかと予想していた、垂直尾翼、水平尾翼まで形になるとは予想以上の進み方だった。昨日の素材状態で、機体最後尾に四角柱の素材が残してある。それは垂直尾翼取り付け溝、および、水平尾翼取り付け溝をバイスでこの四角柱部分をつかんで、加工するためだ、尾翼溝加工後、尾翼を取りつけがすめば、切り落としてしまう。
 今晩は寝床で、ゼロ戦をブーンと手で持ち、飛ばしながら楽しめる。
機体は、中仕上げ形状ができた状態。仕上げの磨きは時間の関係で正月休みにはできない。プライマー塗装後、0.2mmアルミ板を購入してあるので、アルミ板を貼ってみようと思う。
2014.1.4 零戦の主翼制作  零戦21型の主翼と胴体を朴材で作った。アルミと真鍮製の形状合わせに一月三日、主翼の削り出しに、1月4日半日はサンダー削り仕事をしたので、午後1時以降作業はやめた。久しぶりのサンダー作業、φ100ディスクサンダー、ランダムアクションサンダー、ベルトサンダーを使った。力仕事は疲れる。トリーマーは快調だった。トリーマービットは2個新調した。右は素材状態だ。15mm厚の板からすべて削り出すのは骨が折れる、部分的にのこ盤と、トリーマーで削り出している。飛行機はプロペラをつけると見栄えがする。正月以降削れる。素材は昨年4月、モスキートを制作するつもりで購入したものだ。夏の宮崎アニメの零戦から、年末のゼロまで今年は、零戦効果が長い。手仕事はすごく苦手な仕事と、得意な仕事がある、胴体の材料に胴体前後方向と平行な穴をあけることは、電ドル手持ちでは不可能に近い、しかしつばさの三次元曲面を成形するのは得意のようだ。わたしのソリッドモデルはサンダーで力づくで削った機体だ。部屋は木のサンダー削り粉でいっぱいになる。
 ソフトスタート機能がついたトリーマーは始動時の恐怖感がまったくない。以前はトリーマーを始動するとき、安全ゴーグル、皮手袋装着、始動時の反動トルクも大きく、怪我に対する恐れが大きかった。
ノウハウ:写真のように、角材に平面図、側面図を貼りつけて、帯のこ盤で素材の角おとしをする。その後トリーマーで削れるところまで荒削りをする。
荒削りをやりすぎると機体表面に荒削り跡が残る。適当なところで、ディスクサンダーでさらに削り込み、10mmベルトサンダーで大体の形状まで削る。
仕上げはランダムアクションサンダー、小型アイロンの形状をしたやつで仕上げをする。ブラッド&デッカーのオリジナルのアイロン型のサンドペーパーは性能がよく、ぐんぐん木を削ってくれる。15mm厚の板材だった主翼はみるみる翼の断面になった。
2014.1.2 永遠の0 with 義母  豊橋9:50上映の「永遠の0」観客は大入りだ、座席が8割弱埋まっている感じだ。浜松発7:40で、三ヶ日で義母を乗せて、映画チケットを買い終わって9:30程よい時間だった。義母は80歳、戦時中は女学校に通っていたようだ。戦時中、豊橋駅通過11:40ぐらいの軍事列車で、南方に出征する兵士を見送りに女学校に欠席届けを提出し、豊橋駅まで見送りに行った話を聞いた。列車通過時間の直前になると、通過路線と、ホームの間に邪魔をするようい貨物列車が停車し、通過する軍事専用列車は全く見えなかったとのことだった。戦争中の思い出は人それぞれかもしれない。私が生まれる10年前に戦争は終わっている。
 ゼロ戦の印象が強く心に残る。写真の零戦に胴体後ろ半分と、主翼をつけてやりたい気持ちになった。
2014.1.1 新年初制作  昨年後半勉強したDNAと進化の教科書。「永遠の0」にちなんだ零戦21型だ。朝起きると一番で家内から、先日修理した風呂場のドアノブがとれたと苦情を言われた。パイプレンチで無理に回転させたドアノブフランジの細かいピッチのねじがバカになってしまったようだ。ドアノブは別の固定ねじで外れないよう修理した。
 大晦日から削り出していたプロペラの塗装をドアノブの修理のあとでした。下塗り3回、仕上1回と合計4回も塗った。この「0」はプロペラが他の飛行機から流用で専用に作っていなかった。HP用の撮影ではプロペラを回して、見えない工夫をしていた。短時間で、できる工作で、プロペラを削り出しでつくった。プロペラは中心に行くほどピッチが大きく、外周程ピッチが小さくブレード自体がねじれている。カッターナイフ手削りで再現しようとしたが、それほどうまくいかなかった。
プロペラブレードの質感としてはうまくできた。専門家が見なければプロペラピッチの工作は判定できない。この写真で年賀状を印刷した。
 バードカービングをやりだしたり、エアブラシで絵を描くようになったのはのは2004年頃で今から10年前だ。道具もずいぶん使い込んだものだ。充電式のドリルドライバーはやはり使用頻度がたかく。今回ボール盤のスイッチ修理、風呂のドアノブ修理でも欠かせない道具だ。トリーマーはまだ出番が来ない。
 あす一月二日は、家内の母と一緒に豊橋の映画館に「永遠の0」3回目を見に行く予定だ。「永遠の0」は3回目でも楽しみだ。
 たぶんこれで最後の「永遠の0」になると思う。またゼロの世界に浸りたい。
2013.12.31  「永遠の0」以降以前作った金属零戦の前半分を見ていて、プロペラブレードが専用に制作されておらず、有り合わせの他の機体から流用したものであることに気づきました。プロペラ3枚なら、紅白見ながらナイフで削れるとおもい、製作開始しました。零戦のプロペラを作った。木製3枚プロペラ。付け根はM3スタッドボルト。プロペラブレードは15mm角の角材から削り出し。プロペラブレードのねじれを表現したかった。工作開始30分でボール盤スイッチが壊れた。激安ボール盤なのでいたしかたない。午後3時だったので、電気パーツ屋に直行して取り付け可能なトグルスイッチを探した。転用できそうなスイッチがあった。アルミのプレートで長方形のスイッチ穴をふさぎφ12mmの新スイッチ用の穴をアルミプレートにインパクトドライバーであける。無事ボール盤は直った。ボール盤でプロペラブレードに平行な穴を精度よく開けようとした。スイッチは500円。小さな部品に大げさなボール盤で加工だ。、スピンナー側にはM3のタップが加工してあるので、木製でブレードを作っても取り付けは、M3のねじを埋め込みしなければなりません。電ドルで下穴をあけると直角が精度出ないので、下穴加工は万力に材料をつかんで、ボール盤上で正確に垂直な穴をあけようとした。ボール盤タンブラースイッチの樹脂が割れてこわれてしまった。日本製なら起きない故障。ボール盤修理を楽しんだ結果になった。
2013.12.25 永遠の0映画評判  映画の評判を書き込む投稿板があったので、永遠の0の感想を50通ほど見た。感想のレベルは投稿の初期程すばらしく、長文で内容も濃い。映画公開日以降日が経つにつれ、レベルが下がる。公開前試写会を見た方の感想は相当にレベルが高い、公開初日の方の感想もすばらしい、公開3日目以降になると驚くことに批判文も登場した。「あの映画を批判する人は、人が良いというものは、悪く言いたい人だ。物事の欠点だけを探す、悪いとこ探しが身についた、そういう方は幸せな人生ではないとおもう。」小説である以上、架空の人物であり、実話でないことは確かなのだ。それを作り話のように批判するのは間違っている。愚かだ。
 会社では、三人に「永遠の0」映画おすすめした。同年代だ。飛行機マニア一人。もう一人には、アクタン・ゼロ古賀忠義機の件など逆に教えられてしまった。
2013.12.22 永遠の02回目  上映2日目、母を誘って「永遠の0」を再鑑賞した。母に親孝行したいという気持ちと同時に、あの時代を生きた母から、映画の感想を聞きたい動機もあった。私の一番印象に残った場面は、赤城が横須賀に寄港した日、横浜の妻の松乃の家に戻り翌朝、「たとえ手がなくなっても、足がなくなっても、死んでも生まれ変わって妻と娘の元に戻ると約束した。」場面、そして戦後大阪のバラックで「妻の松乃が大石がに対して、あなたは約束を守ってくれた。」と言った場面だった。母が一番印象に残った場面は出撃の場面だそうだ、それから、横浜の自宅を出ていく場面だったようだ。
 2回目の赤城は、冷静に観察できた。赤城の出来栄えはすばらしい。零戦のコックピットの俳優の演技もすばらしい。今から旋回する、気持ちが伝わってくる。最期の突入の場面での宮部久蔵(岡田)の表情もすばらしい。
 映画の入場待ち時間で、母に赤城が出てくること、父がおそらく昭和16年おそらく横須賀で赤城の甲板から飛びこみ訓練をさせられたことを説明していると。私の近くで私と同年代の、白髪の男性が「ゼロ」ですかと声を掛けてくれた。なんだかそれは、誇らしい感じになれた。
 写真の零戦はかなりつくりが荒い。オリジナル度は高いのだが、細部のクオリティーは低い。全金属製のこだわりは実現したが、自己満足の手作り品だ。
映画公開初日、二日目と連続して2度も新作映画を見られたことは幸せだった。
あの時代を生きた人たちは、すぐさま当時の思いを素直に語り始めたわけではなかった。それは2度目だったり、相手が相当調べこんだことがわかったり、死ぬ前にはは言っておきたいとか。自分の母も、本心はそう素直に語れないのだと感じた。
2013.12.21 永遠の0映画  12月21日8:20上映初日の、初スクリーンで見ることができた。300余席のスクリーンは60席ぐらい埋まっていたかもしれない。インターネット確認で当日朝のチケットは30席売れていた。デジタル赤城の出来栄えがすばらしい。海面から21mある前部飛行甲板下、船首デッキで俳優の演じるシーンの臨場感、飛行甲板への着艦シーンのリアルさ翼を小刻みに揺らせてリアルだ、ドントレスの急降下爆弾が命中し、赤城が火に包まれるシーン、涙が出てくる。零戦の空戦シーン、航空機はデジタル映像合成だが、航空機のデジタルマスターは、購入品だそうだ。そこまで製作する時間的余裕はなかった。大道具の零戦は一機だけの制作だが、それを感じさせない。岡田演じる、宮部久蔵は、家内、娘ともに感動したようだった。人としてのドラマだ。60分は涙が流れていた。
 父が予科練生のころ、停泊中の高さ20mの空母甲板からの飛び込み訓練をした。20m下の海面はすごい恐怖で、下を見て飛び込めるものではなかったようだ。空母は赤城だったのかは聞いていない。万が一空母が撃沈されたときを想定して、離艦訓練という名目で実施された。父が実戦配備された昭和20年2月、日本空母は沈められもはや海軍に空母機動部隊は存在していない。赤城が沈没する前、横須賀に寄港することは映画中でもあり、予科練は横須賀にあり、昭和16年父が予科練に入隊中で、横須賀停泊中の、赤城の飛行甲板の飛び込み訓練は想定できる。日本は、昭和16年世界最大の空母を保有し、世界最高レベルの空母航空隊をもっていた。そのころ活躍された歴戦のパイロットは、昭和20年にはほとんど戦死されていた。父の言葉にもあった。ラバウルの名パイロットはほぼ昭和20年2月には、生きていなかった。気持ちは、宮部久蔵、はすべての零戦搭乗員を代表させ描いたそうだ。生きて妻子の元に戻りたかった。生まれ変わってでも戻りたかった。その約束は守られた。そのように宮部の妻は感じた。映画館での映画関連グッズのチェック結果、写真の裏表紙の「永遠の0公式パンフ+永遠の0サウンドトラックCD」を購入した。
 海面スレスレに飛行する宮部の突入場面、VT信管、マジックヒューズは、海面で誤動作して宮部機には当たらない。旋回飛行しながら、空母に接近する宮部機が突入に成功したと思わせる直前、画面はブラックアウトした。家内は、出撃を前にした、宮部と、大石が川もで生きていることの幸せを語りあった場面が好きだと言っていた。
2013.12.20 永遠の0前日  明日から映画「永遠の0」が公開になる。家人の都合で、朝8:20の上映を見に行くことになった。永遠の0は、随分楽しませてもらった。文庫本を私が購入し、家人も読んでいる。家人にしてみると、文字だけの本を私が読むことはほぼ考えられない。どんな本か興味があったという理由だ。楽しみはデジタル合成赤城の出来栄えだ。前回映画、DC3の離陸場面は非常に出来の悪いものだった。映画の性質から、英国兵と、佐渡の住民の国際交流を描いたものだからいたしかたない。永遠の0は、零戦を大道具で作っている。そちらも気になる。撮影時期に本物の零戦52が、プレーンズ・オブ・フェイムから長期借用で日本に展示に来たこともあり。永遠の0の零戦が、何を素材に撮影したかは、気になった。奄美撮影のラバウル基地、千葉県の崖の上に設置した30m四方の赤城飛行甲板、木造アルミ張り零戦、俳優さんが楽しみだ。
2013.12.17 パンク修理  家人の車のタイヤがパンクした。家人の出勤1時間前に偶然発見し、スペアタイヤと交換した。タイヤ交換は何年ぶりか、10年近くタイヤ交換した記憶がない。スペアタイヤは幅の狭い応急用タイヤだった。普通女はパンクのタイヤ交換はしない。偶然休暇だったので、ガソリンスタンドでパンク修理の依頼と、修理後の装着の依頼もした。ホイールの変形も伴っていたので、縁石等にタイヤの側面をこすりつけたことが原因のようだった。駐車場の嫌がらせではなくてよかった。パンク修理待ち時間のつもりで、広報館に行く。平日で離陸、着陸訓練が見られることを予想して行った。T4のタッチアンドゴーを2度見ることができた。滑走路に着陸進入し、滑走路に一瞬触れて、そのまま再度離陸する訓練だ。着地の瞬間キュとタイヤから音がする。タッチアンドゴーを見ていると、携帯からタイヤは側面の修理できない位置なので、タイヤ交換が必要との連絡が入る。タイヤのメーカー違いは許容して、交換を指示した。家人の職場まで、車を取りに行き、スタンドに戻り、修理が済んだタイヤに交換してもらい、また職場まで車を届けた。
 偶然私の休暇と、パンクのタイミングが重なったことは幸運だった。航空機のタイヤの過酷な使用も見ることができた。
2013.12.16 風呂場すのこリニューアル  お風呂がきれいになったついでに、夏場使っていなかった風呂用すのこを、電動カンナで一皮削った。新しい木肌がでてきてすのこは新品みたいになった。なんでこんな簡単なことに今まで気づかなかったのだろうか。風呂場のすのこは常にしめっている。今回玄関の外で半年放置し、乾燥していたことがよかった。
2012.12.15 インパクト・ドライバー初仕事  インパクト・ドライバーの初仕事は風呂場のドアノブ修理だった。家内から、風呂場入り口の床板が、水で濡れて腐ってブカブカになっている苦情を受けた。15年ほど前に、水で腐った部分を取り除き、アルミのデッキプレートを貼り付け修理した。アルミプレートをはがすと、木の床板はそれほど傷んでおらず、コンクリート部分が沈下していた。沈下量の1cm厚さの板を新たにスペーサーとして接着し、アルミのデッキプレートをエポキシ接着剤で貼りなおした。ついでにシリコンシーラントで周囲の防水処理もした。
 床が直ると、風呂のドアノブも故障してラッチが引き込んだままになっており、風呂場のドアが、ロックできない状態であることも気になりだした。ドアロックを風呂場のドアから取り外そうと、インパクト・ドライバーが初仕事をした。ドアノブは容易に外れない。みたところでは、ビスらしいものは露出していない。夜で暗いので、インパクト・ドライバーの電池で照らすライトも活躍した。ちょうどいい具合に明るく作業部分を照らしてくれる。照明が置けて、任意の角度で照射できることも作業には必要だ。インターネットでドアノブ分解方法を調べた。メーカーによって異なる。YKKのドアノブは内側部分のノブのつけねのフランジをパイプレンチで反時計方向に回すことでノブ自体が引き抜けることが分かった。内側、外側のドアノブが外れると、内部のロック機構がみえる。風呂場の水環境で内部のロックユニットは錆びついていた。戻らなくなっていたラッチは錆を取り除くと、動作するようになった。CRC潤滑剤を塗布して再組立てし修理は完了。
 古いドリルドライバーは電池がダメで、使用直前に充電が必要だった。ライトも、ドライバーもすぐに使えることはありがたい。直ってうれしい。年末であと2週間仕事をすれば、お休みに入れる。職場のメンバーチェンジもあり、気分一新であらたな年を迎える。
2013.12.8 道具類の買い替え  次の制作を意識して、道具を二つ買い換えた。充電式のインパクトドライバーは、約10年前に購入したドリルドライバーのNi−Cd電池が寿命で、新調することにした。またトリーマーもほぼ10年使い込んでおり、当時激安の無名メーカー品だったので、中国製ではあるが、国産ブランドのトリーマーだ。始動時のショックが少ないタイプで運転音も静かだ。インパクトはCHホームセンターブランドだが、性能価格ともに気に入っている。交換電池の価格設定も安価で、懐中電灯アタッチメントも格安だった。
 トリマーについては2003年ごろブームだったが、今ブームは去った、使いこなすにはそれなりの技術が必要なことで、ホームセンターによっては、1機種しか展示がない店もあったぐらいだ。試し削りで騒音も低いことが確認できた。制作が楽しみになった。6mm軸のカッターは一通りそろっている。よくも揃えたものだ。
 10年使ったトリマーは、ベアリングがカラカラ異音がした。アルミを削ったり酷使した。主軸がぶれると刃具のビットも痛みが激しくなる。新品のビットはよく切れるが、主軸の精度が悪化したせいで刃具のもちが大変悪くなっていた。このトリマーは、ホームセンターを3軒まわり自分なりに一番気に入ったものを選んだ。始動がスムーズなことは大変使いやすい。トリマーもプロ用のものは2万円するが、高級品はホームセンターでは置かれていない。私の場合トリマーは手持ちで使うことはほとんどない、写真のドラフター改造XYテーブルに固定して使う。また材料もバイスで完全固定して切削する。皮手袋、防塵メガネ使用で怪我にはもっとも注意している。一度トリーマー作業で、木くずが目に入ったことがある。日曜当番医の眼科にいった。初診料とセットで小さな木くずを目から取り出してもらうことに3000円だった。トリマーを買ったばかり、鰹節を削ろうとして、手を大けがした。ばかなことをしたもんだと今になって思う。電動工具は危険なことも確かだ。取扱いには注意したい。
 
2013.11.07 HAR1遺伝子  キャサリンは、チンパンジーのゲノム塩基配列と、ヒトのDNA配列を比べてみたいという願望を持っていた。実際に解読が進むと、ヒトのDNAのほぼ99%はチンパンジーと同じという結果が得られた。約600万年の間に変化したのは、わずか1500万文字だけで全ヒトゲノム30億文字の0.5%である。この約1500万塩基のどこかにヒトをヒトたらしめる差が存在する。1500万文字は、人の目で読み理解するには、あまりに多すぎ、文字が4種しかないということも、読み取って意味を推察することは人には不可能だ。残された手段としてコンピューターによる解析がある。1500万文字からヒトとサルが最近600万年の間に変化のスピードが速かったたった118文字をリストアップした。118/15000000その確率は10万分の1である。更にヒトとチンパンジーでは118文字のうち、、DNA上18文字の配列が異なる。その18文字が人を人たらしめる差なのだろうか。にわかに信じがたい。
2013.10.23 ミトコンドリア・イブ ミトコンドリアDNAからスティーブン・オッペンハイマーが作成した系統図
アフリカ人と、非アフリカ人は8.3万年前にL3系統で分かれた・ホモサピエンスの最も古い系統はアフリカで19万年前に確認された。ミトコンドリアのDNAは通常の染色体と異なり、女系しか遡れない。ヒト染色体は23本ありそれぞれ、父と母から半分づつ受け継いでいる。両親ともにさかのぼると、たった一人の女性ではなく、少なくとも2000人から10000人のアフリカ人の集団にいきつく。
 ミトコンドリアイブとは、1988年ニューズ・ウイーク誌の表紙をセンセーショナルに飾ったイメージであり、ホモサピエンスの共通の祖先がたった一人の女性であるとは、イメージに過ぎない。
 イブは、会話ができて道具をつかえた。会話ができたことは化石からはわからないが、文化的状況証拠だ。5万年ぐらい前に特定の人種が遺伝子操作を受けて知能が発達したという仮説は、人類がすべて言語を持つので、当てはまらない。
2013.10.13 平均海水面と気温の変化 平均海水面の変化:「人類の進化大図鑑」河出書房新社P.11
過去40万年の平均海水面は4回の氷河期を経て、氷河期には海水が両極の氷となり最大100mも低下することが、南極の氷の分析から知られている。最期の氷河期ヴェルム氷河期に最も氷が厚かったのは18000年前、16000年前には氷河期が終わり氷が解けだした。そして8000年前には現在と同じレベルの海水面に、さらに6000年前、縄文時代初期には現在より温度が2°高く平均海水面も現在より20m高かった。
 海水面は一万年で100mも変化している。気温も一万年で10°も変化している。最終氷期最盛期の後紀元前16000年ごろ、地球の温度が上昇し、紀元前7000年には現在より数度高かった。閉じ込められていた水が再び循環したことで海水面も急激に上昇した。
 18000年前はホモサピエンスの急激な繁栄が始まった時代だ。5万年前から、2万年前まで人類は寒冷化の中で赤道に近い熱帯域で過ごした。温暖化が始まり、現在の亜熱帯、温帯の中緯度に生活範囲を広げた。ホモサピエンスが全世界に移住しはじめたのは8.3万年前だ。このとき世界はまだ寒冷化が進んでいた。しかし18000年前を境に温暖化が始まり最期の氷河期は終わった。

サハラ砂漠は草原だった。
125000年まえと7000年〜8000年前
間氷期のアフリカの植生
サハラは草原であり、人類の出アフリカ
が可能だった時期だ。
それ以外の時期サハラとアラビア半島は
砂漠であり、陸ルートでの出アフリカ
は不可能だった。

気温は現在よりプラス2℃
海面は+20m







65000年前〜85000年前砂漠が北ユーラシアへの接近を
阻んでいたことに注目。
2013.10.3 DNAの変化と時間の経過  時間の経過とともにヒトのDNAは変化する。酒、たばこ、ストレス、ウイルス、放射線、紫外線、食物等によってDNAは改変される。病気の原因となる遺伝子が書き換えられたとき発病する。遺伝子は世代交代で、両親のDNAから子供のDNAに書き換えられるとき変化が生じる。親のDNAと子供のDNAの差ば何ビット異なるか、またそれが全ゲノムの何パーセントかを比較計算することによって共通の祖先までの時間を概略計算することができる。

塩基多様度とは、染色体における他人との差である。人の場合どの染色体を比較しても平均0.001程差がある。
人の遺伝子は平均0.1パーセント程度の差が存在する。
π=0.001として表現する。
DNAは一回のコピーで3箇所程度コピーミスが発生する。全ゲノムが30億=3×109あり分母で割ると3×10-9
 DNAの変異を、1年でμ=5×10-9に想定する。
理由:人の細胞は一回の分裂あたり、30億のDNA文字のうち3か所ぐらいをコピーミスする。
   ひとの体の全細胞は平均半年で新しい細胞に入れ替わる。つまり年間2回新しい体に
   作り変えられる。一回のコピーミスが3か所として、3×2=6か所だがきりのいいところで
   5か所として、これを10億分の1×5回と仮定した。
t=π/2μ
t=0.001/2×5×10-9
t=105
t=10万年
30億文字もある。DNAの一定期間での変化率は、ヒト以外でも、ヒトの間でも共通のことだ。
 現生人類ホモサピエンスの共通の祖先はDNA計算すると10万年前になる。
考古学的に18万年前あたりに、ホモサピエンスの最古の化石が見つかったことと一致する。
2013.9.29 進化  10人男と、10人の女がいたとしよう。出来のいい方から5〜6人の男女はそれぞれお気に入りの相手を見つけ伴侶とし、さらに出来のいい子孫を残す。出来の悪い最下位近辺の男女は伴侶を得られないだろう。子孫も残せない。有性生殖が、勝っているのはこの点だ。遺伝子のコピーが完全無欠であり、両親と全く同じDNAを子孫に残せば、進化は起こらない。環境の変化は重要だ。80%の国民が、農家であれば、農業に適した人材が生まれる。80%の国民がサラリーマンであれば、適応した能力を人は生涯を通して身に着けようとする。人は環境適応能力を持つ。転職すれば新しい会社の社風に合わせ、嫁入りすればその家の家風に合わせる。社風や、家風が不合理であれば改めようと努力する。人はいつから言語をもち、共同体でコミニケーションするようになったのかは、化石からはわからない。文字は残るが、会話は残らない。一万年前かもしれないし、数十万年前かも、サルや、イルカ程度のコミニケーションであれば数百万年前かもしれない。言語は一種類でそれが、時代と場所で多くに分かれたのか、それとも各地で別々に言語が発達したのかもわからない。アルファベット文化と漢字文化の違いから見れば別々に発達したのだと思う。2万年前まで、ホモサピエンス以外のネアンデルタール人、デニソワ人が共存して生きていたらしい。お互いに種の交流として結婚もあったらしい。宇宙人と強制的に結婚させられる、妊娠させられることもあったらしい。ハーフは在来種同士の結婚より、遺伝子DNAの差が大きいだけに優秀な子供ができる。大雑把な言い方だが、10万年ほど前、文明が一万年進んだ宇宙人に当時の地球人の女が妊娠させられたできたのが、我々人類らしいのだ。その進んだ知性から、宇宙人とのはハーフ人類は急速に勢力を伸ばし、他の種を駆逐してしまった。文明の進んだのスペイン人がマヤ人を滅ぼしたように。長い年月をかけて地球上を広域に移動し勢力を伸ばそうとした、ホモサピエンスは他の民族と交配しながらも、自分たちの勢力を伸ばし、この地球上に一つの種の存在しか許さなかった。
2013.9.28 分子時計(分子生物学の進化時計)  二つの種のDNAの差を比較すると、二つの種の共通の祖先まで時間を計算して遡ることができる。
K=二つの分類群間におけるヌクレオチドの置換数(ヌクレオチドはDNAの基本分子単位)
r=置換の割合
T=基準時間  t=計算で求めた二つの分類群が分岐した時間。
r=K/2T
tDG=Kdg/2r
 チンパンジーとヒトのDNAの差1%から700万年前共通の祖先を持っていたことが計算された。
2013.9.24 アンデスのミイラ、長頭頭蓋骨  ペルーの山岳地帯、アンデスには子供のミイラがたくさんでる。標高6700mの最高峰の山頂からも子供のミイラが見つかった。神様への生贄で子供がささげられたようだ。インカは征服した民族から子供を生贄として出させた。子供にはインカが支給した最上等の服を着せ、国宝レベルの供え物と一緒に生贄にする。生贄には、きれいな肌の子供が選ばれた。同時に、頭を子供のころからしばりつけ、長頭人間のような、宇宙人的な頭の頭蓋骨が見つかる。これは子供を生贄にとられないための親の自衛手段だと思う。長頭人間は宇宙人のシンボルであり、長頭人間の子供を生贄にするわけにいかない。生贄を高山の山頂近くにささげるのは、宇宙人(神)が空から降りてきた人たちだからだ。古代アンデスの人たちは、かわいいわが子を生贄にとられないため、頭の骨が固まる前の幼児の段階で、矯正具をはめて、頭を長くしたり、扁平にした。
2013.9.14 とある講演会  とある講師講演会に行った。お付き合いでの出席だが参考になる情報はあった。
1.反原発運動や、反沖縄米軍基地運動をしている活動家は、左翼勢力から資金援助があり食っていけるらしい。
2.尖閣での中国の狙いは日本を煽り立て、最初の一発を日本に打たせて戦争の理由をつくること。
3.中国女性の出産解禁は、過去26歳以上、現在22歳以上違反すると年収2年相当分の罰金を取られる。
4.参議院選挙後、複数の自民党議員からお礼を言われた。
5.米、露、中、韓は超能力を使った情案報取集部隊を正式に持っている。
6.サダムフセインの隠れ場所、ビンラディンの隠れ家は、超能力部隊の助けよって発見された。
  周囲の地形、風景を読み取り現実に一致する場所を探し出した。
7.団体が出版している本の一部に、他国の機密情報が含まれており、実際に他国情報機関から、情報出所
  について内偵がなされた。
2013.8.23 夏休み後  夏休み最後の日曜日に家電店に注文した掃除機が、半月ぐらい入荷しないことが問い合わせて分かった。古い掃除機は壊れたので家電店に引き取ってもらい掃除機がない。ワンランク下の在庫のある掃除機を買うことにした。前の掃除機は12年使った。エアコンのフィルターも注文したおいたがそちらは入荷していた。エアコンのにおいが気になるという、家内の希望でフィルターを交換したのだが、これといっていい匂いがするわけではなかった。
 夏休みに入手した貴重なYoutube映像を、信頼関係のある人に配布した。反応は様々だった。状況を説明し、ご自宅のメールアドレスに送付するという条件を提示したが、興味のない方は、自宅のメルアドすら教えてくれなかった。
わたしがどれだけ貴重と思っても、相手が欲しがらないのであれば致し方ない。
2013.8.16 靖国参拝キャンセル  幸か不幸か、目覚ましをセットミスした。午前2時半に目覚ましが鳴らず。午前3時半の主催者からの電話で起きた。急いで支度しても集合場所への到着は30分かかるので、ドタキャンした。キャンセル料は発生する。
 酷暑のなか、閣僚参拝もある靖国に行くことは警備も厳重で、混雑が予想された。いかなくてよかったことはほっとした。
2013.8.13 2013.8.13
 二度と買わないつもりだったSAを買ってしまった。ソリッド主体の私にとって、プラモ制作記事はほとんど意味をなさない。フルスクラッチの作例記事に関心のあったわたしにはここ2年のSAは完全に購入意欲を失った雑誌だった。事実書店には先々月号が隔月の販売日まで売れ残りで存在していた。定期購読者、どんな記事でも買う人ぐらいしか買わなかったとおもう。
 9月号は宮崎の対談記事もあるし、制作裏話もある。第一模型など全く趣味でない娘に貸したところ、映画の記事部分は読みだした。つまりだれでも「風立ちぬ」に興味があれば読める記事だ。
 しかし投稿した記者は、まったく映画を見ない状態でこの記事を書かされている。見てしまえばへぼでもちょんでも、なんでも書ける。映画みないでこの記事を書けたことはすごい。仕事でお金もらっているからそれぐらいと思うが、自分にこの記事を映画見ないでかけと言われても書けない。プロじゃないんだからあたりまえか。
 つまり言いたいことは、SA9月号、買っても損しない。おすすめです。
陸軍がユンカースから輸入ライセンス生産した巨人機、アニメにも登場するG38という4発の大型機のプラキットが存在した。Revell1/144って書いてあった。国内じゃ買えないのかもしれない。個人輸入でクレジットカード決済で輸入したのか、苦労して手に入れたのかもしれない。それにしてもこんなヘンテコ飛行機までキットがあるなんてすごい時代だと思う。
 ちなみに15日の終戦記念日に、靖国参拝することになってしまった。
軍国主義者じゃないけど、右翼じゃないけど、午前3時に起きて、3時半のバスに乗っていくんだそうだ。
なんでこんなばかばかしいことに付き合うんだ。
 大切なひとのお願いなので、合意した。   以上です。
2013.7.31 風立ちぬ・山田卓

2013.8.3へ。
 ジブリの映画「風立ちぬ」を見てきた。平日の夜でかなりすいている。浜松らしい偶然、模型作家の山田卓司が私の前席に座った。奥様同伴だ。わたしは家内と娘と3人で鑑賞した。前評判が低いので、65点ぐらいの作品かと予想した。この映画見る人の知識レベルによってかなり評価が分かれる。家内は酷評、私は絶賛、娘はまあまあ。
 零戦のソリッドモデルを、堀越二郎になったつもりで、三面図をトレースしていた私にとって、設計者としてドラフターと鉛筆で図面を引いた時代の私にとって、計算尺は使わなかったが、手書きの構想図や、計算メモ等職業的には、なりたくてもなれなかった飛行機設計者へのあこがれを感じた。国家の命運を託された天才設計者に自分自身が主人公になったつもりで鑑賞できた。50代の飛行機好きの男性にはおすすめだ。私の評価は100点だ。「永遠の0」のチョイだし予告編も出た。すごい迫力のデジタル合成空母の画面だった。こちらも見たい。
2013.8.2 風立ちぬ 印象に残る場面集
1.避暑地の高原ホテルで、ドイツ人のピアノ演奏による、ドイツ語の歌が頭の中で繰り返される。
2.テスト機の低高度で、ストップウヲッチによるスピード計測実験場面。
3.昭和10年以前の三菱の機体設計室、試作機組み立て工場
4.関東大震災の列車事故、9600型?昔の機関車、2等客車と、3等客車の格差
5.高原病院で、芋虫のように寝袋くるまって療養している入院患者たち
 堀越のプライベートはどのようにして調べたのだろうか。協力者の名前に堀越*子という女性名があった。奥様は年齢的に御存命ではないだろう、劇中に堀越の妹が、女医として登場する。彼女が実在していて、インタビューしたのだろうか。それともお孫さんか。どこまでが現実で、どこまでがフィクションであるのか想像するのも楽しい。東大航空学科主席卒業、三菱内燃機昭和2年入社、7試艦戦、9試単戦設計主務者の現実の経歴を描いている。女性との出会いや出来事も全くの作り話ではないような気もする。物語が実話であって欲しい願望すらある。
 物語は実話ではなかった。堀辰夫という結核を病んだ文学青年が実在し「風立ちぬ」を発表していた。彼は高原病院のサナトリウムで結核を患った女性と婚約した。その女性は昭和10年に亡くなったのだ。映画で描かれたプライベートが実話であるはずがなかった。二人の人生を合作したのだった。
2013.8.3 風立ちぬ・堀辰夫  昭和初期の文学作品・「風立ちぬ:堀辰夫」を図書館で借りて読んだ。全集の中の一作品という扱いだ。単行本は予約でいっぱいとのこと。図書館の方が親切に全集中の掲載をパソコンで探してくれた。八ヶ岳の見えそうな、F(富士見高原)のサナトリウムでの暗い話だ。ジブリ映画のでの期待値は、まったく裏切られた。入院患者が重い順番に亡くなっていく。精神的に病んで、自ら首を吊る患者の話も出る。12月の女性最期の日を描かずに、一年ワープし昨年の思い出をたどり死を文学的に描写している。情景の文学的表現に、興味のない私にとってこの小説を読むことは苦痛だった。主人公の女性がカンバスに絵を描いているとき出会ったこと、女性の父が描かれていること、それぐらいが、堀辰夫作品からのジブリ映画借用だった。ジブリの公式ホームページで、堀辰夫の作品の存在を知った。あえてこの作品を読むのはよほどのマニアか。飛行機マニアにこの本は勧められない。
2013.7.25 サンダーバード  東京のお台場で、サンダーバード博をやっているようだ。会社の友人が見学した。最近友人には「UFOと宇宙人の研究をしている。」と、公言することにした。ケゲンな顔をされることはなく、興味を持ってくれる。サンダーバードは1965年の作品で、100年後の2065年を想定している。50年後の世界だ。垂直離着陸機や、宇宙ロケットは沢山でてくるが、宇宙人はでてこない。50年前に予想できなかったものに、インターネット通信があるようだ。携帯電話で世界中のヒトと会話できる。腕時計形のテレビ電話はサンダーバードにでてきた。50年後も宇宙人の存在は一般化しないのだろうか。サンダーバードに宇宙人がでてきてもいいと思う。そういえばザ・フッドという頭がはげた悪役がいました。ザ・フッドは超能力者で、ニラミを効かせると目が光って、相手が気絶して倒れる設定だった。宇宙人でないとできないことだ。ザ・フッドはアンコールワットのような秘密基地に一人でかくれていた。あと50年もしたら、ひそかに世界征服をたくらむ超能力者がいて、実は彼が宇宙人だったということになるのかもしれない。その時正義の味方サンダーバードがでてきて悪者を退治するのか。
2013.7.14 駅ビル本屋  日曜日駅ビル本屋の医学書、生物学書コーナーは数年前と比べてDNA、分子生物学、ゲノム関係の本でいっぱいだった。生物学、進化の本はまさにDNAのオンパレードDNAなしにして、進化は語れない。医学書もDNAの専門的分析書が増えた。3年前DNAの基本書を買い求めたが、当時のような本はなくなり、DNAの専門的書物に置き換わっていた。3年でDNAの書籍は3倍ぐらいに増えた感じがする。暑い中駅まで行ったのは、選挙の街頭演説の応援だ。演説が終わると駅ビルで韓国式冷やしラーメンを食べた。からくておいしかった。
2013.7.4
 雨〜曇りのポスター貼り
 午前9時掲示板のポスター番号の連絡が入ったようだ。雨は降っているので、近所の作業着屋さんに安いカッパと防水スプレーを買いに行く。帽子にスプレーをして、透明カッパを着て出陣。前回3年前と同じ地域だ。A4の地図一枚に7〜8枚の看板位置の指示がある。最初の地図は前回から時間が経過しており、距離感覚がつかめず自分のいる位置を見失った。7枚貼ると感覚が戻ってきた。水路の前の看板などかなりポスター貼りに危険な看板位置設定もある。10時過ぎると雨が降り出した。不思議と雨が降り出すと盛り上がった。11時から雨が小ぶりになる、早い昼食をファミレスにて30分とる。11:30雨があがりカッパを脱いで、再スタート。午後2:30終了、結果として予定より多い60枚を貼った。貼り付けが遅い地区の応援をした。貼り終わった達成感はあった。
 ドライバーが私で、貼り役と二人チームだ。次のポスター看板まで、順序良くスムーズに導くことが大切だ。
2013.7.3
 明日は選挙のポスター貼り
 明日参議院選挙の公示日だ。公職選挙法による候補者ポスターを看板に貼りに行く。50枚貼る。休暇を取った。雨だ。カッパを着て貼るのか。ボランティアなので、ガソリン代も自腹だけど貼りにいく。どういういいことがあるのか。何もない。疲れて、濡れて、貼ったという満足感だけだ。人生の中でそういう割に合わないことをしてもいい。
2013.6.30
 日曜日の本屋
 木曜日に宅配で注文した本が土曜日に届いたので週末は読む本に不自由しなかった。今日娘の仕事の送りで近くの大型書店に立ち寄った。月末なので雑誌の新刊がでる時期だ。模型関係は「スタジオじぶりの新作映画」の関係か、堀越・零戦のあやかりテーマ雑誌がたくさんあった。零戦は調べつくした感があり、いまさら零戦と言われても全く購入意欲がわかない。ピラミッド関係、エジプト文明関係も、この程度の大型書店では所詮売れ筋一般書しかないので、注文した10年前の古書のほうがはるかに読みでがある。最近テレビを見なくてもひとり、本を読んで自分のテーマについて考えられる時間ができるようになった。近所の歯医者さんに先週通ったとき、歯医者さんが書かれた自著がA4100ページぐらいにまとめられて、待合室に置いてあった。診察時借りたいと申し出ると喜んで貸してくださった。生命の起源とか、宇宙人のいる確率ドレークの式などわたし好みであった。2冊お借りして、感想文とセットで返却した。メルアドもつけて返却したので、何か展開があればまた新しい楽しみが生まれる。
2013.6.23
 まさかのPC初期故障
2013.6.25
 早い修理完了
 PCのキーボードの文字列上から2行目、QWERUIOPの文字が打てなくなった。メーカーサービスに電話した。つながるまで一時間15分かかった。機械的故障と診断された。まさか買って6日目だ。土曜日に引き取り修理の電話があり、日曜日の午前宅配便の引き取り業者が自宅にきた。早く直るといい。
 火曜日夕方帰宅後、宅配便パソコン修理完了品が届いた。キーボードASSYの交換でハードディスク内の設定は無事何事もなく戻ってきた。メーカー直送なので対応は驚く程早かった。販売店を介さないことはNEC側の指定だった。6日でキーボードの一部のキーが反応しなくなることも異常だが、購入後の初期設定が壊れなくてよかった。
2013.6.17
 バラ模型
 家内のバラ栽培と、私の模型工作は同じころから始まった。子供に手がかからなくなった10年ぐらい前だ。模型は市販キットを作らない主義なので、模型屋にはほとんどお世話にならない。もっぱらホームセンターで素材と工具のお世話になる。家内のバラもホームセンターの園芸コーナーでお世話になる。目的は異なるがホームセンターで趣味の調達が間に合っていた。最近は模型から遠ざかり、本屋と図書館にお世話になることが多くなった。模型を作り始めると毎週通っていたホームセンターに最近行ってない。電気屋は普段行く用事がないのであまり行かない。1か月前までパソコンを買う気持ちもなかったので電気やのパソコンコーナーも7〜8年真面目にみていなかった。正直パソコンはあまり売れていないようだった。携帯をスマホに変えた途端に家のパソコンを使う頻度が落ちる人が多いようだ。スマホは携帯パソコンなので、画面は小さいがそれもわかる気がする。
2013.6.16
 父の日パソコン購入
 昨晩突然パソコンを新調したくなった。windowsXPはインターネットブラウザもバージョンが古く一部表示されないホームページが存在する。Youtubeも一部見られなかったり。地図が表示されない場合もあった。11年間使ったノートパソコンだ。娘が中1のとき買い与えたマシンで高3まで使った。その後大学入学時に新しいPCを買ってやり、我が家では娘のPCのおさがりを使っていた。ホームページビルダーのXP用旧ソフトが入るか心配だったがなんとかインストール動作した。これが一番ありがたかった。windows8機は操作体系が大幅に変更になるので、windows7機にしたかった。3店まわって一番最初の一番家から近いK's電気にした。Y電気さんはお客もまばらで閑散としていた。Bigさんは、最新機が購入した型落ち機の2倍ぐらいの値段だった。また格安廉価版は、海外3流メーカー品であり。購入意欲がわかなかった。
 無線LANの接続は手慣れた息子にお願いした。無線LANルーターのパスワードをルーターにLAN接続してrootを入力してパスワードを表示させる。パスワードは20ケタぐらいの英数まじりなので間違えそうだ。10数年前息子が中学生だった時代に苦労して無線LANを導入したのが懐かしい。当時無線LANカードは一枚2万円もした。この更新は新しいパソコンで実施している。
 業務用モデルで、基本ソフトはワードとエクセルぐらいしか入っていない。旧XPパソコン購入時の付属ソフトCDからホームページビルダーがインストールできた。PCの発熱量が圧倒的に小さい、11年前と比べては比べようもないが旧XP機を膝の上に載せて操作しているとかなり脚部に熱を感じた。本機はほとんど発熱を感じさせない。操作系がXPと大差ないこと、ソフトウエアーもXPと互換性が保てることがかなり幸いした。画面操作のwindows8の機能が使えても、私の使い方では全く意味をなさない。
 タッチパネル操作専門で、マウスを使わないのが私流だ。今回タッチパネルが10年前の方式から現在の方式に変更になり、すこし戸惑った。一日使って買い換えたノートPCのタッチパネルには慣れた。
 無線LAN内臓で、動作が10年前のノートから格段に早くなったのがいい。回線スピードは十分早いヒカリでも、端末の処理速度が回線速度に追いつかなかった旧機のストレスから解放された。
 PCに同梱されていた取扱い説明書の薄さに驚く、再セットアップマニュアル、危険警告マニュアル、電源投入時の最小限の説明しかついていない。一般の人はこれで無線LAN接続ができるのか心配になる。お店の人にセットアップしてもらわないと主婦では無理、私でもPCに付属している説明だけでむり。いきなり無線LANのパスワード入力画面がでてきて理解不能だ。理系の息子がいてよかった。
2013.6.11
 浜松フルーツパーク時之すみか
 経営が民間に委託されたフルーツパークに16年ぶりに行った。平日火曜日で園内は老人が多かった。御殿場の時のすみかの食事を期待して行った。期待感が過剰だったようだ。観光地料金の割高感は拭い去れない。初めての体験なので許せるか。ソーセージと餃子、フルーツゼリーを食べてきた。他にパスタやピザがあった。ビールやワインを飲みながら食べるつまみだ。アルコールは飲まないので食事は少量にした。帰路は浜北大橋で天竜川を越え、バラの苗屋にいく。家内の希望なので、車内で一時間ほど待つ。待ち時間は途中で買った「知識ゼロからのエジプト入門」を読む。午後2時から雨が降り出した。梅雨のドライブだった。
2013.6.9
 元雑誌編集長の講演U
 一ヶ月前の某雑誌編集長の講演Uで、某雑誌の元編集長の講演が浜松駅前であり聞いてきた。選挙を意識したものだが、独裁国家がオリンピックを開催するとその10年後にその国家が滅びるジンクツ、旧ナチスドイツのオリンピック、と旧ソ連のモスクワオリンピックの10年後ドイツもソ連も崩壊した。2008年北京オリンピックの10年後2018年に中国が人権問題でそういうことになるのではないかとの見解が示された。残りは政治色が強くなるので割愛する。
 玄関の前に立っている、木の剪定をすこしやった。車庫の上側部分に大きく張り出している枝をチェーンソーで切り落とした。曇りでそれほど暑くもなく、剪定にはいい季節だった。またもや90リットル入りのビニール袋2袋分の枝を落とした。ピラミッドの読書は進むが模型はさっぱりの最近の土日です。
2013.6.8
 屋根の防水塗料・芳香油
 本格的入梅を前に、先日の雨で寝室の天井裏から、雨だれの音がした。シリコンの防水塗料が抜群の効果を発揮することが経験でわかったので息子と屋根に防水塗料を塗った。透明塗料なので、必要な部分だけ塗ればよい。色はついていないので、塗った部分と塗らない部分の区別はつかない。
 隣の中高一環の公立中学、高校で学園祭のようなものをやっていた。入門に身分証明を見せないと入門できない。親子同伴で来ている。他校の生徒は入門できない。完全に密室学園祭だ。時代は変わったものだ。
 アロマオイルで、フランキンセンスという名称の香木の樹脂から抽出したオイルがある。アフリカ東部のソマリア原産のようだ。頭のなかに浸透する香りでとても気に入っている。寝る前にこれを香らせて読書してパソコンやっているとリラックスして気持ちがいい。
2013.6.2
 家族の誕生日
 ライブスチーム運転会の見学後、娘の誕生日ケーキを買いに行った。久しぶりに10カット取れる丸ごと一台のケーキを買った。家族の誕生日を家族4人でお祝いできるのはあと何回できるのか。二日早いが平日になってしまうので、今日お祝いすることにした。
 ライブスチームを趣味にされている方々は皆さん楽しそうだった。乗客の皆さんも乗せてもらって楽しそうで、お互いハッピーないい催しだった。ライブスチーム氏が旧国鉄の作業服「ナッパ服」をネットオークションで購入して着ていたことが印象的だった。何をすることがその人にとって幸せか、それは人それぞれだと感じた。
2013.5.26
 木の剪定、車の点検
 初夏になり、木の成長が早い。電柱の電話線の高さにもう少しで木の枝が届きそうだ。家内が高枝剪定ばさみを買ったので、高い部分の小枝を切り落とした。少し切り足りないので、太い枝部分からチェーンソーで3本ほどばっさり切り落とした。切るのは簡単だが、切り落とした枝のゴミ処理のほうがはるかに大変だ。市の可燃ごみ収集指定袋に入れるためで、所定のサイズに切断して、袋つめは家内にやってもらった。
 車の6ヶ月点検に行く、車検の年で年末車検を迎える。13年乗ったので買い替えの検討を勧められた。当然といえば当然の車の古さ、タイヤ、バッテリー、エアコンの異音などいろいろ不備な点が目立つようになった。物入りだ。息子も、娘も大学卒業したし、そろそろといえばそろそろか。
2013.5.25
 アロマ・バラ系講演会
 デパートで、アロマテラピー系の無料講演会を聞きに行った。女性ばかりであった。立ち見席で聞いた。佐々木薫というこの道では第一人者ということだった。ブルガリアローズの香りをバラから直接採取する話で、ブルガリアまで取材に行かれたようだった。書籍での学問と、本物を見た人の話は違う。男の私でも最後まで退屈せずに話しは聞けた。終わって帰ろうとすると、蓼科バラクライングリシュガーデンで有名なケイ山田の講演会が別フロアーで、一時間後にあるという。家内をデパートに残して、わたしは帰ることにした。本屋で飛行機系雑誌を探すが、購入に値するものなし。
2013.5.11
 島田バラ園に行った。
さほど上手くはないが、この時期の混雑するバラ園でスケッチをすることは勇気がいる。
絵を描いていれば、通りがかりに人は覗き込んでいく。
 最初は恥ずかしいが、今日はこんな絵でもかなりのギャラリーができた。
恥ずかしくで、視線は合わせられない。無言でスケッチに熱中する。
どの一輪をきれいに感じるかが、芸術的センスの問題だ。
 デジカメ族とは違うことを示したい。
多少でも絵が描けることを、人はうらやましく感じているようだ。
色鉛筆で描いているだけだが、水彩と違い30分〜40分で一枚描ける。

2011年6月号のナショナルジオグラフィックスを浜松市立図書館で借りた。
トルコの1万1千年前の古代巨石遺跡が紹介されていると知った。
知る限り世界最古の巨石遺跡だ。

2013.5.11
  母の日
 母は昨年から、弟家族と同居している。明日母の日なので、弟の家に母の日ケーキと家内の作ったバラを持ってお祝いに行った。母は元気だった。人を信じられるということは幸せだ。
2013.5.10
  雑誌編集長の講演会
 夏の参院選挙を意識してか講演会が開催された。雑誌としてはかなりの発行数を誇る某月刊誌の編集長がわざわざ東京から来て講演会をするというので家内と聞きに行った。頭のいいひとは、自分が頭がいいと見栄をはらないようだ。頭の悪い人は、見栄をはりたがるようである。つまり自然に気負いなく淡々と話せるという人はやはり頭がいい。あのぐらい気負わず自然に話せたらいいと思う。世界の覇権で3番手の国が次の時代のナンバーワンになる話。決してナンバー2ではない。その時代に軍事費を使わなかった国で、大不況を経験した国が、次の時代の覇権国になるという趣旨だった。現在の覇権国世界ナンバーワンは米国、ナンバー2国がロシアと中国、軍事費を使わないナンバー3国が日本で、日本は90年代にバブル不況を経験している。理屈では次の時代の世界の覇権国になるすべての条件をクリアーしているというのだ。夜7時から9時の講演会だったのですこしきつかった。
 5月になってから連休と、連休後1週間9日晴天が続いた。金曜日の夜から雨だ。
2013.5.9
 水道蛇口の取替え、PC入れ替え
 連休後3日仕事をした、今朝家人がバラの水かけ用水道蛇口の調子が悪いと、苦情を言ってきた。帰りにホームセンターで水道蛇口を購入して帰宅した。水道の蛇口交換は、300mmモンキー、水道管プライヤー、パイプレンチなど工具はそろえてあり極めて容易だ。40年は使った蛇口なので、ネジ部がおかしくなっていた。さび付いて蛇口が外れないことが危惧されたがなんとか蛇口は外れた。
 交換後の蛇口は新品で快適。壊れたものが直ることは気持ちがいい。
常用しているPCのうち一台が今時めったにないMeだった。壊れたわけではないが、見られないHPが激増した。娘が最近スマホばかりでPCを使わなくなったようなので、娘が学生の時使ってwindows7機に交換した。動画再生がかなり快適に見られる。HP更新用はXP機でがんばっている。
2013.4.7
 雨と風の土日、ワイングラスハンガーの製作、
古くなった大物家電の買い替え。
 mouquitoの検討は、画像検索ばかり。70年前の英国での機体製作風景があった。男は木材の切り出し女性は布張り、塗装、大戦時日本も英国も米国も女性は航空機産業に動員されていた。
 中空構造を塩ビバキューム成形でやり、その上にアルミテープを張ろうとおもう。朴ソリッド部分との境目はパテで均して朴側にもアルミテープを張れば材質の違いはわからなくなる。キャノピーは胴体上側半分の塩ビと一体なので問題が起こらない。機種の四角い側面窓はアルミテープを切り取り窓にする。
 大戦当時、英国内の木工産業を飛行機作りに動員できたのは正解だ。金属加工程大型の工作機械がなくても機体部品ができてしまう。金属と木材では部品の加工精度が10倍ぐらい異なる。
 胴体外殻、主翼構造の大物を木材で作り。それ以外を金属や、ガラスや、ゴム等の複合材料で作っている。金属飛行機を設計できる設計者が木材の特性を理解して、使用可能な部位を強度を考えた上で木材に代替している。木材も布張り、ドープ塗装、磨き、仕上げ塗装と強度、外観、耐候性を考えられて作っておりすばらしい。
2013.3.31
最初の一歩
 次の機体の検討を開始した。少し難しいかもしれないが、新しい構造にチャレンジする。
胴体の一部を中空構造で表現したい。主翼は朴のソリッドとしたい。エンジンはマーリンを1/50で製作し、材質は金属以外で作り金属に見せたい。de havilland mosquitoで検索すると海外のサイト情報が沢山得られる。英国で本機は人気機種のようだ。博物館に実機は沢山存在する。飛行可能な機体は既にないらしい。
 わたしの模型製作への最初の一歩は、模型としての構造検討だ。中空胴体が胴体全体で表現できるか自信がない。少なくとも細くなった胴体後部は朴ムクになりそうだ。
 朴製主翼からエンジンマウントを真鍮棒のハンダ付けで表現し、マーリンを搭載するところまでは従来の工法でなんとかなりそう。エンジンナセルは塩ビのバキューム成形でやるとし、胴体方案をどうするか迷う。バルサで凸型作って、プラバンで絞るか。塩ビで熱成形するか。
 構想検討に時間をかけたい。木製機なので、木製の薄板で胴体が表現できたら最高にいいが。
コンビニでとりあず1/50スケールになるよう拡大コピーしてきた。1/1図があると大きさのイメージがつかめる。予想より細い胴体だ。胴体尾部はかなり細い。

 先週の土日が多忙だったので、今回の土日はゆっくりした。